在外研究中にお世話になった、ボン大学のヨーゼフ・イーゼンゼー(Josef Isensee)教授から届いた手紙の話をする。この夏、教授の助手2人が日本を訪れた際、昼食をおごり、少しばかりのお土産を持たせた。そのなかに、教授へのプレゼントも含まれており、それに対する礼状だった。朝比奈隆指揮/大阪フィルの演奏で、ブルックナーの交響曲2,5,6番のCDだった。私はブルックナーを好み、ドイツにも朝比奈隆の全集を持っていった。99年のクリスマス前、教授夫妻をボンの私の家に招き、妻の日本料理でもてなしたことがある。その際、教授は棚にあるブルックナーの本をめざとく見つけ、「オーッ」と叫んで、ご自身も大変なブルックナーファンであることを告白された。その時のうれしそうな顔が印象的だった。帰国する時、私は朝比奈の全集のなかから、4,8,9番とザンクト・フローリアンの鐘で知られる7番を教授に贈った。教授自身はギュンター・ヴァントの演奏を好むという。私は翌日すぐにケルンのCD店に行き、ヴァント/ケルン放送交響楽団の全集を購入した。1番や2番の演奏には好感を持てたが、やはり朝比奈隆の演奏が頭に「定着」しているので、テンポやオケの鳴らし方を含め、私の好みに完全に一致する演奏は多くはなかった。ケルン放送響の出来がいま一つということもあった。
昨年11月、東京オペラシティで、ヴァント指揮の北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)の演奏を初めて聴いた。ドイツ滞在中はいつも売り切れで、かの地では一度も生で聴けなかったのだ。当日の曲目はブルックナーの交響曲9番。3楽章までの未完成交響曲である。「前菜」はシューベルトの本家「未完成」(交響曲第8番)。演奏会は若い人々の姿も目立ち、90歳指揮者が無事に日本の地で演奏を始められるかという不安感も漂い、開演前から緊張感に包まれた。だから、ヴァントが姿を見せると割れるような拍手が続いた。そしてシューベルトの最初の一音(Einsatz)。ただごとでない雰囲気をたたえていた。「未完成」がこんなに豊かに響いた演奏を他に知らない。メインのブルックナーはとにかくすごい演奏だった。心の奥底が洗い流される気分になった。いつもなら、品のないブラボーや拍手がすぐに飛び出すのに、しばらく放心したように聴衆は動かなかった。ややあって、拍手がジワーッと広がりだし、最後はスタンディング・オベーション。耳の肥えた日本の聴衆をここまで熱狂させる演奏家はそう多くはない。なお、昨年5月、同じ9番を、朝比奈隆指揮/NHK交響楽団で聴いた。思えば、今年は会議の連続で、まだ一度もコンサートに行っていない。昨年春にドイツから帰って、「忙しい」と愚痴っていたが、そんな去年の方がはるかに「優雅」だった、といま思う。
そんななか、会議の空き時間に立ち寄ったクラッシック専門のCD店(高田馬場駅前のムトウ楽器店)で、ヴァント指揮/ベルリンフィルの最新ライブ録音を入手した。ブルックナーの交響曲第8番ハ短調。演奏は2001年1月である(BVCC-3041~42)。このCDはヴァントの5度目の録音だそうだが、「真に匠の域に達した」との評価がなされている(金子健志)。
奇跡的にできた休日に、じっくり聴いてみた。よかった。何の力みもなく、どこまでも自然に、滔々たるブルックナーの世界がそこにある。久しぶりにスコア(Anton Bruckner VIII Symphonie C-Moll,Wien 1955)を眺めながら聴いた。いままで聴きなれた演奏と違う部分もかなりある。例えば、第1楽章の140小節から160小節。ここまでたっぷりと響かせた演奏は、私は他に知らない。第2楽章136小節から138小節のティンパニィの連打には、楽譜に指定のない激しいクレッシェンドがかけられている。といっても、ティンパニそのものが抑制されているため(指揮者によっては派手に響かせる!)、不自然ではない。第3楽章の頂点をなす箇所(練習番号VからW)も声高ではなく、比較的地味におさえている。第4楽章の練習番号LからM。作曲者自身によりFeierlich,innig(厳かに、やさしく)の指示がある。この部分は、今まで聴いたなかで一番美しかった。コーダも決して昂らず淡々としていて、達観した高みを感じた。最後の3音(ミ・レ・ド)のキレも実に自然である。33年前にこの曲を初めて聴いたのはハンス・クナーペルツブッシュ指揮/ミュンヒェン・フィルの演奏だったが、あの3音を一拍ずつ、たっぷり鳴らした終わり方とは対極をなす(カール・シューリヒト指揮/ウィーン・フィルのあっけないくらいの速さとも違う)。
朝比奈隆は1908年7月生まれの93歳、ヴァントは1912年1月生まれ。もうすぐ90歳である。日独でこの2人の90歳指揮者がいま、超人気である。若い頃はスター指揮者の陰に隠れていた地味な2人。究極の大器晩成タイプといえよう。なお、イーゼンゼー教授の手紙には、朝比奈の演奏についてこう書かれている。「私は、これらの演奏を聴くことに恐縮しており、また喜びでもあり、興味津々の気持ちです。あなたを通じて、私は、日本に偉大なブルックナー文化が存在することを知りました。かつてあなたが私に贈ってくれた演奏は、私に感動を与えています。それらの演奏は、私がヨーロッパにおいて知る最高ものと並び立つものです」。教授はドイツ憲法(国法)学界における保守派の大物で、在独中、コソボ空爆の評価などでは意見が対立したものの、ブルックナーを好むという点では完全に一致した。イーゼンゼー教授の「朝比奈体験」は、帰国後に頂いた手紙の様子では、大変な驚きだったようだ。日本という非ヨーロッパの国でここまで深いブルックナー演奏があることに、である。そして昨年秋の私の「ヴァント体験」と今回の8番ライブ。私のヴァント評価も一気に上がった。このことを教授に伝えるべく、手紙を書くことにしよう。