1年ゼミと裁判官弾劾裁判所 2004年9月20日

年も1年法学演習(今年から導入教育科目〔演習〕となったが、以下1年ゼミと呼ぶ)の学生を引率して東京地裁で裁判傍聴を行い(窃盗事件と出入国管理法違反事件の2件)、法務省赤煉瓦庁舎(昨年は憲政記念館)と裁判官弾劾裁判所の見学を行った。今年からカリキュラムが大幅に変わり、1年ゼミが通年4単位から半期2単位となり、原則として後期(秋学期)スタートとなった。私はあえて前期(春学期)に開講した。「鉄は熱いうちに打て」である。19人の好奇心旺盛で、個性的な学生たちが集まってきた。

  例年のように、彼らを 4つの班に分けて、自由に報告・討論させた。毎回の報告には20頁を超えるレジュメが出てくる。ディベートの仕方もいろいろと工夫してくるので感心した。最後には、ゼミ補助金を使い果たし、何度か「カンパ」を求められた(微苦笑)。「エホバの証人」「死刑」「裁判員制度」「少年法」「クローン」「平等原則」など、むずかしい問題に、1年生なりに果敢に取り組んだ。裁判員制度を扱った班は、弁護士役の学生にスーツ姿で教室に登場させた 。3・4年専門ゼミ(水島ゼミ)に比べても遜色がないどころか、同じ週に同一テーマを偶然扱ったときには、問題意識の鋭さと切り口において、1年ゼミの方が気合が入っていたほどだ。

  7月の最終授業では、男女平等について原宿の竹下通りでアンケート調査をやり、そのデータを統計学的に処理して、「仮想判例」まで作った分厚いレジュメと、浅倉むつ子教授(労働法)へのインタビュー、原宿でアンケートをとる様子を撮影した DVDを上映しながら発表を行った。これは、「90分を自分たちのライブとして演出せよ」という私のコンセプトに見事に応えるものだった。報告班の学生が書いた感想文をここに掲載しておこう。

 前期(春学期)を通じて、 4つの班がそれぞれ二回報告することになったが、どの班も一度目に比べて二度目は、内容、報告の仕方、討論への動機づけ、討論内容を含め見違えるほどによくなっていた。このゼミは後期からなくなるが、単位とは無関係に、彼らと秋にフィールドワークを実施すると約束した。ここで、今期の学生たちの感想を1、2紹介しておく。また、昨年度の学生(4単位、通年受講)の感想も参考のため、ここに挙げておこう。ゼミは「苗床」であり、問題意識をもった種子が発芽する場である。教師の仕事は、ただ励ますこと。「教授」とは教え、授けるのではなく、学生たちが自分のなかの可能性に気づく手伝いをすること。彼らの好奇心を「引き出す」。私たちの仕事は、学生たちが、学問をする喜びを感じられるよう、その「気づき」のきっかけを与えることである 。入学後すぐにやる 1年ゼミの効果は限りなく大きい。私はそう考えている。

  冒頭にも書いたように、その1年ゼミ生を連れて、6月30日、裁判官弾劾裁判所を見学した。裁判員の机の上には、14人分の平成16年版六法全書が置いてある。学生たちは、弾劾裁判所職員に質問した。「一度も使わないで、毎年変えるのはもったいないので、何年かに一度にするということはできないのですか」「これ使わなくなったら、学校に寄付してくれますか」等々。1年生らしい「無謀な」質問に、職員は苦笑していた。「六法を見てもいいですか」と職員に許可を求め、おもむろに学生たちは裁判員席に座り、六法全書を開き始めた。「一度も使われないで処分されるのはかわいそうだから、一度は開いてあげよう」と女子学生。一見無意味なようで、実は無意味な行動だが、1年生の「知らぬが仏」パワーに免じてお許しを。

  さて、『月報司法書士』(日本司法書士会発行)に連載している「憲法再入門Ⅱ」で、「裁判官弾劾裁判所はいらない?」を書いた。今回はこれを転載する。


裁判官弾劾裁判所はいらない?

 ◆どこにあるか知っていますか

 本誌の読者ならば、最高裁判所の所在地を知らない人はいないだろう。でも、裁判官弾劾裁判所がどこにあるかをご存じの読者は何人いるだろうか。高校までの公民や政経の教科書にも、権力分立の解説などに必ず登場する。言葉として有名でも、その現実の姿はほとんど知られていないのが実情だろう。

 毎年 6月に、私が担当する1年法学演習の学生たちと見学している。いつも東京地裁で裁判傍聴をしたあとに向かう。場所は永田町の自民党本部の隣、参議院第二別館(南棟)9階にある。当初は旧赤坂離宮(迎賓館)内にあったが、1970年に参院議員会館内に、76年から現在の場所に移った。法廷は旧最高裁大法廷をモデルにした193平方メートルの立派なもの。合議室や裁判長室、事務局を含め、全フロアを使用している。

 ここが実際に使われたのは、最近では 2001年8月から11月までの間だけ。それ以前は15年近くも使われてこなかった。そもそも罷免訴追事件自体がきわめて少ない。制度発足以来7件。罷免された裁判官の資格回復裁判請求事件が6件あるだけだ。10年に一度あるかないかの事件に備えて、14人の裁判員と8人の予備員が任期ごとに選ばれ、1年ごとに裁判長が交代して、12人の職員からなる事務局が存在する。一度も裁判を経験することなく任期を迎える裁判員が圧倒的に多い。事務局は「粛々と」裁判所の維持・管理にあたっている。当世風の「小さな政府」的発想や費用対効果の観点からすれば、「壮大なる無駄」といえるかもしれない。では、「裁判官弾劾裁判所なんていらない」のだろうか。

 ◆裁判官弾劾裁判所の役割

 一般に「弾劾」とは、大統領や裁判官など、強い身分保障を受けた公務員が非行をおかした場合に、国民の代表がその者を罷免する制度をいう。 14世紀後半の英国で、国王任命の大臣や裁判官が非行をおかした場合に、議会の裁判により罷免する制度として発足したものである。日本国憲法第64条1項は、「国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける」と定める。裁判官弾劾法は、憲法の規定を受けて制定された憲法付属法である。

 ところで、裁判官弾劾裁判所の存在意義は、二つのアングルから説明される。一つは、憲法第 15条1項の「公務員の選定罷免権」の具体化、つまり「裁判官の民主的統制」というアングルである。そこまでいわなくても、裁判官罷免の権限を、国民代表機関たる国会にのみ与えたことは、15条1項ルート(公務員一般に対する国民のチェック)からの説明が可能だろう。もう一つは、司法権の独立(第76条3項)の一環としての「裁判官の身分保障」(第78条)の徹底というアングルである。裁判官は、心身故障のため職務執行が不可能といった例外的事態を除いて、「公の弾劾によらなければ罷免されない」。罷免理由は、職務義務の著しい違背と職務の甚だしい懈怠のほかに、「職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行」である(裁判官弾劾法第2条)。「内外を問わず」ということは、私生活上の非行も理由となる。

 憲法は特別裁判所の設置を禁止しているが(第76条2項前段)、裁判官弾劾裁判所は国会に設置された文字通りの「特別裁判所」であって、これは憲法上の例外と解される。

 裁判員の数は計 14人。衆参両院から7人ずつ選ばれる(法廷に向かって左が衆院、右が参院)。裁判長は1年交代で、衆参両院からそれぞれ選ばれる。今年は真鍋賢二参議院議員が裁判長なので、裁判長席は真ん中より一つ右側にずれている(昨年は一つ左側)。両院対等の観点が制度設計上重視された結果、最高裁大法廷のように長官の左右に7人ずつ座るという「美形」がとれなかったのだろう。

 裁判所である以上、司法裁判所のもつ形式と内容がほぼ確保されている。裁判員の職権の独立も保障されている(裁判官弾劾法第 19条)。国会閉会中でも職権行使が保障されており(同第4条)、憲法が認めた独自機関として活動能力を有する。 弾劾裁判所は罷免の訴追を待って活動を開始する。訴追を行うのは裁判官訴追委員会である。各議院から10人ずつ選出される訴追委員(予備員は各5人)によって構成される。職権の独立も保障される(同第8条)。裁判官の訴追請求は「何人も」行うことができる。なお、裁判官訴追委員会事務局は衆議院第二議員会館内に置かれている。訴追機能と裁判機能を別々の院に帰属させることで、さらなる権力の分立が工夫されている。

 ◆存在することに意味がある

 前述したように罷免訴追事件はわずか 7件である。1948年の最初の2件は不罷免。罷免はこれまで5件にすぎない。最初の罷免は、1956年の帯広簡裁判事のケース。事件記録を放置して多数の略式命令請求を失効させたというものだ。直近の東京地裁判事のケース(2001年)は児童買春である。今後、いつ「とんでもない事件」が起きるかはわからない。その「時」に備えて、今日も裁判官弾劾裁判所の職員たちの多くは、東京メトロ永田町駅2番出口を使って出勤している。

 なお、学生と見学して気づいたが、 14人の裁判員席にはそれぞれ『六法全書』が置かれており、これを毎年新しい版に更新すると結構な額になる。弾劾裁判所の予算は年間1億1838万円(2004年度)である。これは民主主義のコストというよりも、「立憲主義のコスト」といえるかもしれない。この制度は一見無駄に見えるし、限りなく無駄な面を含むのだが、その存在そのものに意味があるのである。

(『月報司法書士』〔日本司法書士会〕 2004年7月号より転載)

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