音楽よもやま話は、ドイツ滞在中に一度書いた。4年3カ月ぶりに、「音楽よもやま話」の二回目を出す。個人趣味的な世界だが、多忙時の埋め草として今回アップする。
直言コーナーで音楽について最初に書いたのは、「90歳指揮者の演奏会」だった。5年前の秋、新幹線で大阪日帰りをして、朝比奈隆指揮の大阪フィルによるブルックナー交響曲第8番を聴いたときの話である。次いで、朝比奈隆とギュンター・ヴァントの二人が相次いで亡くなったのを契機に書いたのが「雑談(14)」と「雑談(16)」である。
このところ、ほとんどコンサートらしきものに行っていない。仕事が押し寄せてきて、チケットを買っても無駄になってしまうからだ。そんなとき、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮・ザールブリュッケン放送交響楽団の「ブルックナー3夜連続演奏会」の情報を得た。授業と会議が集中する時期・時間帯だが、私はカケに出た。木曜の大学院の授業(3コマ連続)のあとならば…。とりあえずチケットを一枚おさえ、だめだったら人にあげようという気持ちで臨んだ。幸い、すべての予定が11月6日午後7時をよけてくれた。だが、当日にならないとまだわからない。緊張のなかで、週最後の9コマ目の授業を終えた。院生たちに別れを告げると、足早に東京オペラシティに向かう。何と1時間前に着いてしまった。軽く食事をして、開演30分前に座席についた。聴衆はまばらだ。じっと目を閉じた。深呼吸をして、コンサートホールの空気を全身で感じていた。
あまりの心地よさに、一瞬眠りに落ちた。目をあけると、いつの間にか周囲は人で埋まっている。雑談する人はほとんどいない。真剣な眼差しで、初来日のオーケストラと80歳の指揮者、やがて始まる90分近い大曲を待っている。マンネリ化した定期演奏会などにはない、独特の空気が漂う。みんな一期一会を求めて集まっている。しかも、ブルックナーの「通」ばかり。不思議な沈黙が支配する。開演5分前、おもむろにトイレに立つ。何と、わが同僚のN教授がいるではないか。やはり、という気持ちが半分あった。実は、大学院生だった1980年秋、東京カテドラル聖マリア大聖堂でのブルックナー連続演奏会(朝比奈隆指揮の5オケ)で、奥平康弘先生の後方の席に彼もいたことを後で知ったからだ。
さて、指揮者のスクロヴァチェフスキ。1923年生まれの80歳。ポーランド生まれで、今日では長老に属する。私はコンサートどころか、レコードでもCDでも縁がなかった。ザールブリュッケン放送響も同じ。91年のベルリン滞在時は、東西ベルリンの6つのオーケストラ全部を聴いた。来日したものを含めれば、ドレスデンの二つ、ミュンへンの三つ、ライプツィヒ、ヴァイマール、フランクフルト、バンベルク、北ドイツ放送(NDR) 、ハレ、ハノーファー、シュトットゥガルト、ヴィースバーデンの各オーケストラの生演奏を聴いてきた。そして、99年から1年間のボン滞在時は、地元ボンのオーケストラ(ベートーヴェン・ハレ)に失望しつつ、アウトバーンで簡単に行ける「ご近所」のケルン放送交響楽団(ギュンター・ヴァント指揮)のファンになった。だが、なぜかザールブリュッケン放送響だけは縁がなかった。
ちなみにドイツ滞在を終える直前の2000年3月、ザールブリュッケンまで車で行ったことがある。理由は、ドイツ16州のうち、まだ訪れていないのはそこだけだったから。ややアリバイ的な旅行ではある。実際に行ってみると、さほど見るべきものはない。有数の石炭産地であることのほか、「ザールのナポレオン」ことオスカー・ラ・フォンテーヌ元社民党(SPD) 党首が州首相をやっていたこと以外、私には特に印象はなかった。だが、歴史的にみれば、ザールラントは面白い。1990年に旧東独の5州がドイツ連邦共和国に編入されて「ドイツ統一」が行われたが、その33年前に、独仏国境地帯のザールがドイツ連邦共和国に編入されて、ザールラントになっている。ヨーロッパの歴史、特に独仏関係史において、ザールラントは独特の意味をもつ。宮崎繁樹・元明大総長の『ザールラントの法的地位』(未来社)など、この地域は国際法にも興味深い問題を含む。とはいえ、その州のオーケストラにまで私の関心は向かなかった。今回は初来日である。日本の聴衆にとっても私にとっても初体験である。
実際に生で聴いてみて、ウィーンフィル、ベルリンフィル、旧レーニングラードフィル(ムラビンスキー指揮)をはじめとする超一流オケを初めて聴いたときに感じた「すごさ」はなかった。木管に難があったし、弦楽にも粗さがみられた。だが、とにかく一生懸命なのである。女性コンサートマスターは全身を使って表現しているし、手抜きなしの真剣勝負。そうした気迫が全員から感じられた。チェロを軸とする中低弦の美しさは特筆ものだ。精密で完成度の高い、透明感あふれる演奏というわけにはいかないが、ザラザラした断面をそのまま見せてくれるという感じで、芯は熱い。金管もよく鳴っていた。ブルックナーは完璧であってはいけない。すっきり磨きすぎてもだめ。無駄を削ぎ落としすぎてもいけない。全体が「無駄」のかたまりで作られた「無意味の有意味」だから。ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団のすっきりした極致のブルックナーは、セルの他の作品を高く評価する私でも、やはり好みではない。あくまでもくすんだ田舎の僧院の伽藍の響きがほしい。
思えば、私が初めてブルックナーを聴いたのは中学2年の夏だった。父親の留守に届いていた2枚のレコード、シベリウスの第4番(カラヤン、ベルリンフィル)とブルックナーの第9番(ブルーノ・ワルター、コロンビア響)をこっそりかけて、完全にはまってしまった。その翌日聴いた第8番は、ハンス・クナーパーツブッシュ指揮のミュンヘンフィルだった。第4楽章の一部を大胆にカットしたクナ流の演奏だが、これがずっと耳にしみついていた。生演奏で感動したのは、4回聴いた朝比奈隆・大阪フィル(特に1982年10月24日、東京カテドラル聖マリア大聖堂)を除けば、1984年3月7日、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮のNHK交響楽団の演奏(NHKホール)をもって白眉とする。第3楽章の頂点(スコア〔第2稿1890年ノヴァーク版〕では243小節、ハープのグリッサンドの最後の部分)で、勢いあまったコントラバス奏者が椅子をけり倒し、ドタン、ドタンという大音響がホールに響きわたった。会場全体が固まった。しかし、マタチッチはすさまじい気迫で、見事に乗り切った。一生忘れられない体験である。当日、第2ヴァイオリンを弾いていたN響のA氏(古くからの隣人)によれば、「椅子から飛び上がりそうになった。マエストロがものすごく大きく見えた」そうである。この演奏はCD化されているが、第3楽章の当該箇所は「突然の雑音」が見事にカットされている(DENON COCO-7376) 。
さて、本題に話を戻そう。今回のスクロヴァチェフスキの8番解釈は、上に述べたような、私の耳にしみ込んでいるそれと比べると、「何でここでリタルダンドかけるの?」「ここでテンポを速くしてはだめ」「えっ、なぜここでクレッシェンド?」といった「内なる声」が第1楽章から第2楽章の途中まではまだ聞こえていた。だが、第2楽章のトリオあたりから、すっかりスクロヴァチェフスキの世界にはまっていた。80歳とは思えない力強い演奏である。特に第3楽章アダージョは、弦の厚い響きに支えられて深い感動を与えてくれた。211小節から頂点をなす239小節までは、弦にメリハリをきかせ、私の好みのテンポよりは少し速めだったものの、十分に堪能できた。第4楽章のコーダ708~9小節の「ソー・ミ・レ・ド」の音は、シューリヒト(ウィーンフィル)ほどではないが、私の耳になじんだもののなかでは、かなり速い方に属する。でも、違和感はなかった。
余談だが、終演後、ブラボーと拍手は鳴りやまず、朝比奈やヴァントなきあと、ブルックナーファンのカタルシスとなる一夜だったのだろう。カーテンコールを何度も繰り返していた。私は老人を酷使するのが忍びないので、この老指揮者が3回目にステージに出てきたところで会場をあとにした。帰り際、ロビーで、演奏者のCDを2枚購入した。ブルックナー交響曲ヘ短調「ダブル・ゼロ」(1863年原典版)と、第0番ニ短調(1869年原典版) 、弦楽八重奏曲ヘ長調の弦楽合奏版(スクロヴァチェフスキ自身の編曲)である。ブルックナーの交響曲は、ベートーヴェンやシューベルト、マーラーと同じく1~9番が定番だが、どっこい第0番といったマイナーなのも結構いける。今回購入した弦楽八重奏曲のオーケストラ版もよかった。後日、このコンビの全集(輸入版)をHMV(http://www.hmv.co.jp)で購入した。家で冷静になって聴くと、私の好みとはやや距離を感じた。やはり生演奏の魅力だろうか。というわけで、別に音楽に関心はないよ、「ブルックナー?」という読者の皆さんには、かなり個人趣味的な「雑談」におつきあい頂いて感謝します。