1997年1月3日にスタートした「直言」も、今回で300回を迎えた。5年7カ月。実にいろいろなことがあった。毎週1回の更新とはいえ、一度も休載しないというのは結構大変だった。2000年3月31日までの在外研究374日間も、「ドイツからの直言」として、毎週欠かさず更新を続けた。取材などでボンの自宅を長くあける時は、ストック原稿を書いておいてUPした(いまも多忙時は同様)。200回記念の折りにも書いたが、更新を続けるエネルギーは、読者の皆さんのアクセスと応援メールである。この機会に改めてお礼申し上げたい。
さて、本サイトの異常事態では、皆さんに大変ご心配をおかけした。ことの発端は、5月24日に本サイトがディレクトリごと削除されたことに始まる。読者から「なぜアクセス拒否になるのか」という問い合わせが相次いだ。4日後にバックアップ版により何とか復活したが、6日6日朝、今度はメインページに異変が起きた。写真が変色したり、真っ黒になったのだ。原因は不明である。何者かによるDoS攻撃の疑いもあるが、サーバーの不具合の可能性もある。かりに嫌がらせだとすると、一大学教員が個人的に出しているサイトに対して執拗な攻撃をするのはなぜか。あまり愉快なことではない。またいつ異常が起きるかわからないので、ご面倒でも、常にhttp://www.asaho.com/を「お気に入り」(ブックマーク)に登録して、そこから2回クリックで入ることをおすすめしたい。
こういう仕事をしていると、手紙やメールなどでさまざまな意見が届く。「有事法制」に関しては、「右」と「左」からバッシングを受けている。「誰か日本の恥、水島朝穂を殺してくれよ」とか、「水島、日本に帰ろう」と、小説『ビルマの竪琴』に引っかけて「非国民」扱いする若者たちがいる一方、最近では、「安倍発言を擁護する水島朝穂教授」「進軍ラッパを吹く権力者を免罪」「反権力なき知性の限りない堕落」といった、とんでもない非難も寄せられている(『早稲田大学新聞』6月13日付)。安倍官房副長官が早大の授業にゲストとして呼ばれた際の発言が密かに外部に持ち出され、週刊誌や国会などでとりあげられた事件である。これを論じた直言が、上記のように某過激派の攻撃対象になった。ここでは詳しく言及しない。ただ、自分たちと同じ発想や論理をとらない相手を全否定する姿勢はいただけない。これでは学生や市民の共感を得ることはできないだろう。私の立場は当該直言で明らかにしているので、よくお読みいただきたいと思う。
さて、300回連続更新を通じて得た最大の「財産」は、すばらしい出会いの数々だろう。「初めてお便りします」。突然舞い込むメール。外国に住む方からのメールも増えた(そろそろ英語版を出したいのだが時間がない)。外国メディアの取材依頼や、変わり種では某国駐在武官というのもあった(これは危ないので失礼した)。新たに出会った人を通じて、昔からの知人の新しい面を知ったり、それがさらに新しい出会いを生み出したりと、「出会いの連鎖」が絶妙なタイミングで起きる。私はこれを「出会いのシンフォニー」と呼ぶ。
ホームページを通じて、何年も、なかには30年もの空白を経て交流が始まった例もある。お互いそれなりに年をとって、メールのやりとりにも人生体験を経た味わいが出てくる。また、昔の教え子たちが、ずっとこのページを見ていてくれたことを知ったときは、幸せな気分になった。あえてメールを出すのは照れくさい。でも、何かのタイミングでメール交換が始まる。再会までの「時間」は単なる空白ではなく、「見えない時間」に包まれている。朝日の実力派記者の一人、外岡秀俊編集委員の言葉を借りれば、「人の出会いに季節あり」である。なお、300回を記念して、近年の「直言」のなかから、私をめぐるさまざまな「出会い」をまとめた「エッセー集」を作った。この機会に、お読みいただけたら幸いである。
ところで、第1回「直言」をご記憶だろうか。1997年1月3日「ペルー大使公邸人質事件について」。わずか450字だ。実は、これは、初めてHPを始めたときのお試し版として出した文章だった。それが、300回も書き続けることになろうとは、その時は夢にも思わなかった。その年の4月26日の「緊急直言」は、「日本大使公邸の大量虐殺」だった。
昨年来、「憲法再生フォーラム」の世話人をやっているが、そこでご一緒させていただいている小倉英敬さん(元・ペルー大使館一等書記官。現在、大学講師)。彼は、ペルー大使公邸占拠事件で人質になった経験を、『封殺された対話――ペルー日本大使公邸占拠事件再考』として出版している。私は本書を出版直後に読了していた。すごい臨場感と、マスコミ報道と異なる視点に感銘を受けたのを記憶している。現地語に精通しているため、トゥパック・アマル革命運動(MRTA)のゲリラたちとの人間的交流を通じて、人質事件の社会的・政治的背景に鋭く迫ることができた。当時はフジモリ大統領絶賛の報道が中心だったが、いまや完全に評価は逆転した。公邸解放直後に、無抵抗のゲリラ3人を「処刑」した疑いで、ペルー国内でも追及が始まっている。そのことを世間に最も早く知らせたのも小倉氏だった。そうした体験に基づく「有事法制」批判は説得力がある(『マスコミ市民』2002年7月号小倉論文参照)。
今週は、57回目のヒロシマ・ナガサキである。