大学の授業と携帯電話 2003年2月10日
年前に携帯電話について書いてから、不保持宣言もしたし授業中の携帯メールについても触れた。不保持は宣言したものの、早大教員組合書記長の激務の1年半は、家族の求めで携帯を持たされていた。名義は妻のもので、任期中に限って「預けられていた」わけだ。任期を終えた現在、その携帯をどうしているかといえば、実は携帯メールを使うため所持している。公衆電話の激減で、外に出たときの連絡に支障をきたしたことも大きい。家族やゼミ学生・院生との連絡のための「必要最小限度の手段」ということで、限定利用説をとることにした。ここまで普及した以上、携帯と上手に付き合うことも必要ではないかと考えるようになったのである。
  さて、その携帯電話をめぐって「事件」が起きた。1月中旬、早大政経学部の「法学」の授業で、遅れて教室に入ってきた学生が、何と携帯で話をしながら教室内を横切っていったのである。私は講義を中断して、その学生をどなりつけた。慌てて椅子に座ろうとするのを許さず、退去を命じた。今年度は「法学」が1コマ減になったため、例年より4割増しの740人が受講していた。西早稲田キャンパスで一番大きな教室で、立ち見を出しながら1年間がんばったが、最後の授業で「朝穂先生はついにキレた」(「法学」受講生のメールより)。
  今年で大学教員20年、早大に着任して7年になる。政経学部の「法学」も、学部間協力で6年続けている。好奇心旺盛な学生が実に多く、反応もビンビンくる。2単位授業のため、答案枚数が年間1400枚もあって負担ではあるけれど、実は私はこの講義が好きである。受講者の多くがマスコミに就職することも意識して、冒頭の「事件コーナー」では新聞各紙の比較検討を他の授業よりも詳しくやったりして、学生の関心を引き出す努力をしてきた。だが、今年のクラス(740人)は年間を通じて異様にうるさかった。私の教師体験でもかつてない体験だ。しかも今回の携帯電話の件。圧倒的多数の学生は熱心に受講しているだけに残念である。740という人数が講義可能限界を超えたのか、「イマドキの大学生」のモラル低下が進んだのか、私の講義の迫力が落ちてきたのか、いずれにせよ、原因は携帯電話だけではなさそうである。授業が静かだと思ったら、全員が下を向いて携帯メールをやっていたという話もよく聞くから、うかうかできない(島田博司『メール私語の登場:大学授業の生態誌3』玉川大出版部)。
  政経学部は、試験場で着信音を鳴らした者は答案を不受理にするという厳しい姿勢で臨んでいる。この点について、かつて少々批判的に書いたが、なぜここまでやるのか、今回の件でよぉーくわかった。そこで、この機会に、授業と携帯電話の問題について、身近な学生・院生に意見を求めてみた。ある女子学生は、大教室だと講義をする教員が遠すぎて「テレビを観ているような感覚」になるので、もっと少人数にすべきだという。もっともだが、巨大私学の場合、大教室の講義をなくすことは難しい。いろいろメールが届いたが、以下は、高校教員になる一学生からのメールである。

……法学部の静かな授業に慣れきっていたので、一昨年初めて教職課程の授業を受けて、私語の多さにびっくりしました。政経学部の「法学」にもぐらせていただいた時も確かにひどかったですが、教職はそれ以上のものがあります。「教室のうしろ」ではなくて、「教卓の前」を携帯を話しながら通り過ぎた例もありました。さすがにその時の先生は退室を命じていました。しかも、退出時に学籍番号と名前を言わせて、その学生を即刻登録抹消にしていました。以下、4つに分けて考えてみます。

 (1) なぜ、今回のような事件が起こったか?
①個人の規範意識の低下説、②キャパシティ超過説、③折衷説(①+②)。
確かに740人は多すぎます。僕は最初②と考えましたが、①の原因を強調する方もいます。③が妥当かもしれません。少人数教室なら、携帯電話の鳴動はあっても、さすがに通話はできないと思います。

 (2) 今回のような事件が起きた場合の対応のあり方はどうあるべきか?
①無視・授業続行説、②注意喚起説、③強制退去説、④強制退去・登録抹消併用説、⑤試験時の答案不受理説、⑥業務妨害で告訴説。
水島先生は③の対応をとられました。今回の事件を、親しい友人何人かに話しましたが、全員③説を支持しています。しかしながら、現実は①も意外と多いように思います。大多数のまじめな受講生の不利益を考えれば、また、再発防止の観点からも、①はまずいと思います。ただ、許容範囲は④までかという気がします。⑤は、少なくとも被疑者(?)の特定ができていなければいけませんし、⑥は、法的には可能であるとしても、教育現場においてとるべき対応ではないと思います。

 (3) 今後の防止策はどうあるべきか?
①ルール策定説、②ペナルティ強化説、③人員削減説、④入学前のスクーリニング説、⑤入学後のマナー教育説。
(3)と下記の(4)はやや論点がかぶりますが、(3)が特別予防、(4)が一般予防といったところでしょうか。①については、大学でそこまでやる必要があるのかという批判がありえます。大学における「生徒指導」の必要性については、正月の朝日新聞でも取り上げられていましたが、家庭教育の「外注化」が進む今日、18歳まで生徒指導・しつけ指導が必要で、19歳から必要ないというのは合理的理由を欠くと思います(いわゆる「荒れる成人式」に同旨)。④は、推薦入試・面接試験における人物評価などに一部取り入れられているのではないでしょうか。これをすべての受験生に拡大させるのは、方向性としては間違っていないと思います(東大医学部が、理科Ⅲ類の全受験生に面接試験を課したことに同旨)。⑤は、大学3年生対象の就活マナー講習などがあたると思いますが、これを講座化して、「マナーに単位を与える」というのはどうかと思います。

(4) (3)で①をとった場合、ルールをどのように周知徹底するか?
①常設掲示説、②法文化説
①をやっている大学を見たことがあります。自動車教習所のほか、予備校などにも似た掲示があります。赤い筆文字の「禁煙」に始まり、ラウンジの荷物を片づけろ、飲食物は持ち込むな、「投球等禁止」「ダンス禁止」等々。ちなみに僕の今いる22号館には「壁を叩いたり、蹴ったりすることを禁止します」いう貼り紙があります。法学部では以前、私語をしている学生を、学生が注意している場面を見たことがありますが、これが理想的な姿かと思います。まさに「自治」ですよね。僕も教壇に立つ身ですので、この問題は難儀です。自分なりのやり方を模索したい思います。……

  上記のメールを読みながら、「大学もここまで来たか」という印象をもたれた読者もあろう。『アエラ』(2002年12月23日号)が「大学生は小学生なのか」という記事を載せたから、「イマドキの大学生」の惨状については、世間的な認識も高まったようである。では、どうするか。これに模範解答はない。大学教員が努力することはもちろん、家庭、小中高、大学のそれぞれで起きている「変化」に着目しながら、それぞれの段階で本気で考えなければならない時期にきたように思う。なお、4月からの講義について、人数削減を政経当局に求めた結果、500人を上限にしてもらえることになった。当面は、こうした「対症療法」でいくしかないのだろうか。