スポーツ
2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル
2024/6/3:ダービー前日のストライキ――憲法28条があることの意味
2021/8/23: パラリンピックは中止すべきである――この国に「総理」大臣はいるのか
2021/8/9: 雑談(127)映画『お名前はアドルフ?』―― 「ホロコースト」をコントにする日本
2021/8/2:「~じゃないでしょうか」症候群――「トップの言葉」の貧困史
2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020
2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文
2021/6/21:安全保障関連の土地建物調査・規制法――「令和の要塞地帯法」
2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで
2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」
2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点
2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ
2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった
2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾
2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて
2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語
2021/2/22:裁判所が認めた「抵抗権」――台湾最高裁判決の問題性
2021/2/15:雑談(126)パワポの「功罪」――アナログとデジタルの「間」
2021/2/8:わが歴史グッズの話(48)オリンピックと自衛隊――東部方面隊「東京1964」
2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を
2020/11/23:公文書改ざん事件と「赤木ファイル」――衆議院「予備的調査」
2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて
2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない
2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて
2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本
2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点
2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走
2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」
2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」
2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意
2019/4/8:統治技術としての「時間」――新元号の決まり方の異様
2019/2/11:元号は政権の私物なのか――元号法制定40周年
2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?
2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を
2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに
2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?
2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)
2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書
2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙
2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」
2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」
2013/2/25:「アベコベーション」の日本――とりあえず憲法96条?
2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア
2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣
2010/4/19:「員数合わせ」的発想はやめよう――普天間問題の視点
2009/11/16:「日米同盟の深化」でいいのか――ブッシュとオバマの来日