ヒロシマ・ナガサキ
2024/10/12:【緊急直言】日本被団協にノーベル平和賞――「ヒロシマ・ナガサキ80年」を前に
2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う
2024/6/10:国民は政治を「自分事」にできるか――岸田流「他人事」の1000日を前に
2024/5/6:憲法記念日に朝ドラ『虎に翼』を見る――日本国憲法施行77年に
2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括
2024/1/1:「次世代」と広島を訪れ、ヒロシマを考える―2024年の抱負
2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは
2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?
2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」
2023/5/29:日本はE20(死刑執行国20カ国)の一つ――孤立する岸田政権
2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー
2023/3/6:核シェルターという壮大なる無駄――「防護して生き残れ」ではなく「抗議して生き残れ」
2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年
2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年
2022/8/8:権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する――「増税分の5分の4を借金返しに」?!
2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」
2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?
2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて
2020/8/17:在任期間のみ「日本一の宰相」――「立憲主義からの逃亡」
2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて
2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)
2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録
2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ
2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース
2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年
2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)
2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン
2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か
2014/8/18:「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)
2014/8/11:安倍政権とコピペ文化――安保法制懇はどこで議論していたのか
2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉
2013/3/11:わが歴史グッズの話(35)艦砲と空襲の破片、そして原爆瓦
2007/7/3:特別直言 「しかたない」と「しょうがない」――故・宮澤元首相と久間前防衛相
2006/1/16:わが歴史グッズの話(18)「その時」の新聞を読んで
2005/9/12:台風下のゼミと「九十九島と九+九十九条」のこと
2004/7/19:子どもたちにどう伝えるか――韓国で考える(3)