町会規約の変化 ここで再び、東京・世田谷区新町三丁目にズーム・インしてみよう。 「新町三丁目町会隣組長名簿」(一九四三年五月二四日常会決定)によれば、同町内の隣組総数は一九組。一班五組で計四班が構成されていた(第三班のみ四組)。隣組の整備・強化は町内会の戦時体制化でもあった。ここでは、そうした変化が、町会規約の規定内容に具体的にどのように反映していたかを見ておこう。 「東京市町会基準」(一九三八年四月一七日東京市告示第一九三号)によれば、町会は、「隣保団結シ旧來ノ相扶連帯ノ醇風ニ則リ自治ニ協力シ公益ノ増進ニ寄与シ市民生活ノ充実向上ヲ図ルヲ以テ目的トスル地域団体」と定義されていた。具体的な事業として、「敬神及祭祀ニ関スル事項」「銃後援護ノ強化ニ関スル事項」「警防衛生及土木ニ関スル事項」などが列挙されている。この「規準」の一ヶ月後に出され、隣組導入の画期ともなった「東京市町会規約準則」(同年五月一四日東京市告示二四〇号)については前回述べた。そこでも、町会の定義や事業に関して、「規準」との間で大きな変化はない。 「世田谷区新町町会規約」(一九三九年三月改正)も、この「町会規準」や「町会規約準則」に基づいて、町会の目的を、「隣保団結シ舊來ノ相扶連帯ノ醇風ニ則リ自治ニ協力シ公益ノ増進ニ寄與シ会員ノ福利増進ヲ図ル」と定めていた(同規約三条)。 だが、一九四三年五月八日施行の「新町三丁目町会規約」では、「隣保団結シ萬民翼賛ノ本旨及舊來ノ相扶連帯ノ醇風ニ則リ地方共同ノ任務ヲ遂行シ市民生活ノ刷新充實を圖ルト共ニ國策ノ徹底ヲ期スル」ことが目的に掲げられた(同規約三条)。「自治」から「万民翼賛」「地方共同ノ任務」へ。さらに「國策ノ徹底」という任務が新たに加わったのである。ここには、前回紹介した「部落会町内会等整備要領」(内務省訓令一七号)における「萬民翼賛ノ本旨」などの文言が、そのまま持ち込まれている。 町会の事業・組織の戦時化 「新町三丁目町会規約」では、町会の「事業」についてもかなりの変化が見られる。トップに「敬神崇祖及祭祀ニ関スルコト」が来ている点では従来と同様だが、交通、矯風、公共心の涵養、慰安などの事業がすべて削除され、次の事項が新たに付加されている。すなわち、「隣保団結及相互扶助ニ関スルコト」、「国策及自治行政ヘノ協力実践ニ関スルコト」、「経済生活ノ安定及貯蓄強化ニ関スルコト」、「軍事援護ノ強化ニ関スルコト」、「防衛、警防及衛生ニ関スルコト」である。(同規約七条二〜六号)。地域住民の親睦・交流・協力という町会本来の事業ではなく、軍事・国策的要素がいっそう強まっていることが分かる。 組織面についてはどうか。まず、隣組の位置づけが格段に高まったことが特徴として指摘できよう。(詳しくは、本誌一一八号拙稿参照)。「新町三丁目町会規約」でも、隣組に関する独立した章が置かれた(第五章二四〜三〇条)。そこでは、隣組は「市民組織ノ基底タルノ重大責務ヲ有スル」(二四条)とされ、内部組織のあり方までも詳細に定められている。 また、「新町町会規約施行規則」(一九三九年三月改正)に委任されていた町会各部(専門部)の構成が、本規約のなかで詳細に規定されている点も特徴として指摘できよう(一九〜二〇条)。 新町三丁目町会の各部は、次の八部から成る。1庶務部、2消費経済部、3貯蓄部、4軍事援護部、5防務部、6健民部、7婦人部、8青少年部、である。これは他の町会も同様である。このうち、防務部(「防衛部」とする町会規約もある)の担任事項は、1防空、防火その他非常災害に関すること、2防諜および防犯に関すること、3警防および交通に関すること、4隣組防空に関すること、5警防団との連絡に関すること、である(二〇条)。防務部は、防空法制の実施上の中心的役割を与えられていた。 ところで、「世田谷区新町三丁目町会役員名簿」(一九四三年五月八日現在)には、各部役員が実名で書かれている。これを見ると、各部は総代一名と、幹事二〜三名で、計三〜四名から構成されていたことが分かる。消費部は規約上例外的に、幹事が消費者側と業者側とで各五名、総代一名を入れて計一一名と、かなり多く割り当てられている。新町三丁目の町会規約では、各部の幹事の数は二ないし五名とされ、消費部のみ一四名以内とされている(二一条)。ただ、防務部のみは、鉛筆書きで六名が追加されている点が注目される。防空体制強化のなかで、ここでも、防空を主任務とする防務部が増強されていたことがうかがえる。 戦う町会・隣組 新町三丁目の町会規約が施行された一九四三年五月八日(土曜)という日は、実は特別の意味を持っていた。この日を期して、東京における町会・隣組の新体制が発足したからである。 新聞各紙も、「戦ふ町会擧げて滑り出す−−是非、婦人を役員に」(『朝日新聞』一九四三年五月九日付)、「八部制に新異色−−改組二千七百町會けふ新發足」(『東京新聞』同)、「會長中心の運營−−防空に配給に總力結集(『讀賣報知』同日付)という見出しで、大きくこれを報じた。 新町三丁目町会発足への動きを辿ると、次のとおりである。河野光星世田谷区長が「町会隣組戦時体制準備委員」指名通知書を各町会に発し、これを受けて新町町会内の三丁目地域で、町会名を「新町三丁目町会」と定め、石田三吉氏ら三名の準備委員を区に届け出たのが四月一六日。役員指名届は四月二一日に出されている。区長が「町会戦時体制確立強化届ニ関スル件」(世戦発第八六号)を出したのが四月二三日。三丁目でこの届を提出して新しい町会発足準備を整えたのが五月七日である(同届への署名日付)。翌日には、東京全体で新体制が発足している。 新町三丁目では、二日遅れて、五月一〇日午後四時より、町内の東京市産業会館で、「町会隣組戦時体制確立強化のための結成式」が挙行された。そこで、次のような「宣誓」が行われている。 宣誓 我等町會隣組員ハ皇國未曾有ノ時局ニ直面シ輩毅ノ下大東京市民トシテ果スベキ使命ノ愈重大ナルコトヲ痛感ス。今ヤ御稜威ノ下我ガ忠誠有武ナル陸海皇軍ノ精鋭ハ世界戦史空前ノ戦果ヲ擧ゲツツルアノ秋、我ガ新町三丁目町会員一同ハ一層結束ヲ強固ニシ戦時生活ヲ徹底シテ直チニ善隣一家一億一心の實ヲ擧ゲ愈銃後総力陣ノ完璧ヲ期シテ聖旨ニ副ヒ奉ランコトヲ期ス。右宣誓ス。 昭和十八年五月一日 世田谷区新町三丁目町会員代表 工藤英雄 地域住民が国家に「宣誓」をするという図は何とも異様である。準備委員指名から発足まで一カ月弱。町会・隣組の新体制発足が極めて急ピッチで進んだことが分かる。 東京都制と隣組防空群 新町三丁目町会をはじめ、町会・隣組の戦時体制が発足して約二カ月たった一九四三年七月一日。東京都制が施行された。「東京都」の発足は、地域の戦時体制化のいわば総仕上げであった。 当日、新町三丁目町会に配布された河野光星世田谷区長以下関係者一二名連名の「東京都政施行の挨拶」という文書がある。そのなかに、東京都政施行の理由が次のように書かれている。 「大東亜戦争下斯の如き劃期的なる新制度の實施せられたる所以のものは蓋し一に皇都行政の統一及簡素強力化と處務の敏活適正を図り戦時行政の運営に些かの間隙なからしめ以て大東亜戦争の目的完遂に奇與せんとするものに有之候」。 この東京都政施行と同時に進められたのが、隣組防空群の強化であった。都政施行に伴い、警視庁が隣組防空群の指導統制権を全面的に掌握した。警防団本部には、隣組防空群指導係も新設された。 警視庁防空課発行の『隣組防空群指導要領』(一九四四年、非売品)というマニュアルがある。全一四編から成り、トップ項目は「精神教育」である。「国民ノ一人一人ヲ完全ナル防空戦士タラシムルヲ本旨トス」とある(同書一頁)。空襲対策の精神主義的姿勢がよく示されている。 ところで、東京都において、隣組防空群設立の根拠となったのが「東京都永年計画」二三条である。それに基づく隣組防空群の位置づけと機能をまとめれば、次のとおりである。 1国民防空に国民全般の「自衛行為」を基調とすること、2わが国の都市は木造建築物であるから、応急防火の強化充実の必要上、五人組制度・隣保制度を防空に用いること、3概ね一〇戸内外で一群を編成し、自衛防空にあたらせること、4各家庭には一人の防空担任者を定め、家族、同居人、防護活動をなしうる者すべてを防空従事者として自衛防空にあたらせること、5東京市長と警察消防署長とによって指導されてきた隣組の防空活動は、都制施行とともに指導統制の一元化がなされること、6隣組防空群は、警防団の防空活動に協力すること、である(同書二四〜二五頁)。 隣組防空群の強化は、その後の空襲激化のなかで、むしろ犠牲者を増大させる原因となっていく。このことについては、次回詳しく触れる。 「防空生活」の一端 手元にある新町三丁目町会の記録は、空襲下の町会常会や隣組常会の様子を月毎に淡々と伝えている。紙幅の関係上、ここでは二つだけ紹介しておこう。 まず、都制施行の約三週間後、七月二四日の新町三丁目町会常会の記録である。この日、「鉄兜・共同購入に就て」という申込み書が配布された。各家庭に鉄兜を備え、「必勝防空戦を」と呼びかけたものである。割引価格で八円三〇銭也。申込み書の説明には、「旭印兜は軽くて強く『金槌』等で強く叩いても破れぬ優良品です」とある。この程度で「優良品」とは心細い限り。ちなみに、筆者も子どもの頃、物置の奥にあった陸軍燃料廠印の鉄兜をかぶって遊んだことがある。友達に鉄棒で思い切り叩いてもらう「実験」をしたら、少々へこみができ、しばらくひどい耳鳴りが続いたのを覚えている。 もう一つ。一九四五年一月二五日開催の常会文書「二月町常会開催徹底事項」。ここから、空襲が激化した時期の市民生活の一端を窺い知ることができる。 一 二月常会徹底事項 防空生活ヲシツカリト固メヨウ 1空襲ヲハネカヘス強イ身体ニ鍛ヘヨウ 2隣組精神デ防空生活ノ工夫ヲシヨウ 3空襲ニ備ヘテ手持現金ヲ貯蓄シヨウ 二 火薬綿再回収実施ノ件 三 罹災者用生活必需物資供出買上ニ関スル件 四 帝都防衛功績者表彰ノ件 五 建物疎開事業実施ニ関スル件 六 空家及準空家ノ防空強化対策実施ニ関スル件 七 空家及準空家ノ二月一日現在ニテ隣組長ニ於テ取リ調ベ届出相成 八 集団疎開児童ニ激励袋寄贈セラレタキ件 九 隣組班ノ区域変更ノ件 十 役員推薦ノ件 十一 軍事行動秘匿ニ関スル件 防諜ニ爾今軍隊ノ行動ニ関シテハ口外、通信又ハ風説等絶対ニナサザル様一般ニ徹底セラレタシ 十二 罹災者ニシテ郊外ヘ転出スル者ハ区長ノ罹災証明書ヲ持参シ行ク様周知シオカレタシ 十三 追加予算ノ件 小括−−隣組とは何だったのか 二回にわたり、隣組や町会が果たした役割・機能について見てきた。歪められた「参加」や「平等」の国家的押しつけは、「自由の絞殺」(最終的には戦争)に通じる。これが、ここでの一つの結論である。 隣組は、地域の隅々まで、無数の細胞のように伝播し、上から命令を下さなくても、「自発的」に互いを牽制・監視しあう仕組みを完成させていった。ひとたび、「空襲」「毒ガス攻撃」といった形でテンションを高めれば、その運動エネルギーは増幅する。そして、「上意下達・下情上通」の無数のパイプが、市民のフラストレーションの顕在化を効果的に抑止した。家族の悩みから「今日の夕飯」まですべてを知り合う関係とは「おせっかいの制度化」にとどまらない。「向こう三軒両隣」という最も近接した関係が、相互の親密な「助け合い」を生み出すのと裏腹に、「異質なもの」を素早くキャッチする感知器の役割を果たしたわけである。「隣組システム」こそ、日本の軍事的脆弱性を補完し、国民を戦争に動員していくまさに日本的装置だったのである。 次回は、防空法制の下における学校や子どもたちをめぐる状況について見ていこう。 |