映画・テレビ・ラジオ・新聞

2024/11/13:雑談(147)音楽よもやま話(35)「ウクライナ戦争」で音楽監督を辞任したロシア人指揮者のブルックナーを聴く

2024/11/6:「もしトラ」が「ほんトラ」に――2024年米大統領選挙と日本

2024/10/28:低投票率のもとでの「過半数割れ」――日本の「連立方程式」?

2024/10/21:「ウクライナ戦争」はなぜ終わらないのか――「不都合な真実」もろもろ

2024/10/14:戦後最短で衆院解散――解散権濫用の常態化?

2024/10/12:【緊急直言】日本被団協にノーベル平和賞――「ヒロシマ・ナガサキ80年」を前に

2024/9/30:軍事的合理性にこだわる首相の誕生――「最短」総選挙の後に

2024/9/30:石破茂内閣発足の意味――「改憲大連立」への道?

2024/9/9:自由民主党第2代総裁のこと――時代は「誰」を求めるか !?

2024/8/26:特攻の「思想」――NHKスペシャル『“一億特攻”への道』など

2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う

2024/7/8:安倍晋三殺害から2年――踊る岸田政権

2024/7/1:「7.1閣議決定」から10年――徳島で考える

2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足

2024/6/3:ダービー前日のストライキ――憲法28条があることの意味

2024/5/6:憲法記念日に朝ドラ『虎に翼』 を見る――日本国憲法施行77年に

2024/4/8:雑談(143)大学教員のお仕事(その3・完)――「人生のVSOP」と「出会い」再

2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題

2024/3/11:「1.1大震災」から70日――なぜtoo late, too littleは繰り返されるのか

2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に

2024/2/19:雑談(142)音楽よもやま話(34)「世界のオザワ」のこと――ブルックナーとP51

2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して

2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)

2023/12/11:ビジネスライクな「空爆」――秋田・土崎空襲の現場、再訪

2023/12/04:安倍晋三の「野望の階段」の終わり――米ドラマ『ハウス・オブ・カード』を診る

2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景

2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”

2023/11/6:雑談(140)牧野富太郎と水島正美――NHK連続ドラマ「らんまん」を契機に

2023/10/30:三笠宮崇仁と憲法9条――憲法制定過程における発言から

2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは

2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に

2023/10/9:「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの――この国の民主主義に熟議はない

2023/9/25:「総理・総裁」が関与した大規模買収事件――「すがっち500」メモが示すもの

2023/9/4:長沼事件一審判決から50年――憲法9条2項が「在ること」の意味

2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?

2023/7/24:雑談(139)今時の学生について(4)――1年導入講義(法学入門)を終えて

2023/7/17:ドイツ憲法史の「つまずきの石」とヴァンゼー会議――「直言」更新1400回に

2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」

2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー

2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」

2023/5/8:権力者が改憲に前のめりの奇妙な風景――「古稀の年」の憲法記念日講演

2023/4/3:雑談(137)70歳に思う――「直言」連続更新1385回

2023/3/20:わが歴史グッズの話(51)イラク戦争から20年――もう一つの侵略戦争

2023/3/13:戦で死ぬ兵たちのこと―「その他大勢」の思想

2023/2/20:「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス

2023/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」

2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年

2023/1/16:台湾危機は「リスクもどき」――台湾徴兵制に対する当事者の意見

2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって

2022/11/14:雑談(134)『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く

2022/10/31:「「無知の無知」の突破力」考――第2次安倍政権発足10年を前に(その2)

2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年

2022/10/10:連立政権23年、公明党のディレンマ――安全保障と政教分離

2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀

2022/9/26:「安倍国葬」と統一教会――自公政権の葬送狂騒曲

2022/9/19:「台湾でドンパチ、日本で戦争」?――台湾の大学院生の批判的応答

2022/9/12:「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀

2022/8/29:「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.

2022/8/15:わが歴史グッズの話 (50) 軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に

2022/8/8:権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する――「増税分の5分の4を借金返
しに」?!


2022/8/1:「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)――第2次安倍政権発足10年を前に(その1)

2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬

2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/7/11:安倍晋三銃撃事件――立憲政治の前提を壊した人物の死

2022/7/4:第4回参議院選挙の風景――「3分の1」の問われ方

2022/6/27:有権者はいつまで「沈黙」を続けるのか――コロナで広がる「黙」の世界

2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ

2022/5/23:戦争をいかに止めるか――『ロシア 小さき人々の記録』から考える

2022/5/16:映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル──軍備強化の既視感

2022/5/2:ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に

2022/4/4/:「フォークランド戦争」から40年――「戦争」を選ぶ指導者たち

2022/3/21:「大本営発表」はロシアだけではない──メディアが伝えないウクライナの「不都合な真実」


2022/3/7:「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明

2022/2/28:「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの7日間戦争」が始まるなかで

2022/2/14:雑談(130)音楽よもやま話(29)アナログレコードが売れている

2022/1/31:Netflix『新聞記者』を見る──アベノリアル

2022/1/24:追悼・外岡秀俊さん――いま、ジャーナリストに求められるもの

2022/1/17:「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界

2021/12/13:『彼は早稲田で死んだ』――早大川口君事件50年を前に


2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年

2021/11/29:武蔵野市住民投票条例の何が問題なのか――憲法蔑視の荒野

2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」

2021/10/11:憲法をなめていませんか――岸田文雄内閣の発足にあたって

2021/10/4:「安倍院政権」の誕生へ――権力の私物化と「生業としての政治」(その2)

2021/9/20: 「アベなるもの」の終わりの始まり――回想2012年9月26日総裁選

2021/8/16:「8.15」、沖縄からの視点――「直言」更新1300回

2021/8/9: 雑談(127)映画『お名前はアドルフ?』――「ホロコースト」をコントにする日本へ

2021/8/2:「~じゃないでしょうか」症候群――「トップの言葉」の貧困史

2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020

2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文

2021/7/12:どうやったら投票率はあがるか―「マニフェスト」+「選択しない選択」

2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで

2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」

2021/5/24:「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三

2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に

2021/5/3:究極の「不要不急」は憲法改正――日本国憲法施行74年

2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった

2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾

2021/3/22:子どもの夢は会社員――「末は博士か大臣か」は死語

2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて

2021/3/8:「普通の国」の「普通の軍隊」へ――「普通の子・バイデン」の米国との関係

2021/2/15:雑談(126)パワポの「功罪」――アナログとデジタルの「間」

2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を

2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか

2021/1/4:安倍晋三氏は議員辞職すべし(その3)――13年前の「直言」から

2020/12/21:「アベノコトバ」がもたらしたもの――安倍・菅政権の8年

2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)

2020/11/30:日本議会史上の汚点ではないか――「黙れ」事件から82年

2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道

2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの

2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて

2020/10/12:学問研究の自由の真正の危機――沈黙するなかれ

2020/9/28:議会におけるヤジ――日本とドイツの比較

2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣

2020/9/14:メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果

2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと

2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい

2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて

2020/6/29:「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ

2020/6/22:イージス・アショアの「もったいない」(その2・完)―グローバル安保からスペース安保へ?「宇宙作戦隊」新編

2020/6/15:安倍晋三首相の国会嫌い――臨時国会召集義務違反を問う

2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗

2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない

2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家

2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ

2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告

2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに

2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本

2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点

2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/2/10:雑談(122)音楽よもやま話(26)早稲フィル創設40周年のこと

2020/2/3:「馬鹿が戦車でやって来る」――イラク・ボディ・カウントは続く

2020/1/27:公務員は「一部の奉仕者」ではない――「安倍ルール」が壊したもの

2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀

2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」

2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意

2019/12/23:「反社勢力」に乗っ取られた日本――安倍政権7年の「悪夢」

2019/12/9:『戦争とたたかう』ということ――久田栄正没後30年

2019/11/25:首相の「責任」の耐えがたい軽さ―モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ

2019/11/18:安倍政権の滅びへの綻び――総裁3選党則改正の効果

2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/10/21:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)

2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)

2019/10/7:中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)

2019/9/23:安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)

2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年

2019/8/26:安倍色に染まった日本――なぜ日韓関係はここまで悪化したか

2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選

2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム

2019/7/8:映画『新聞記者』を超えるリアル――逮捕状を握りつぶした人物が警察庁長官に?!

2019/7/1:魚と政権は頭から腐る――隠蔽・改ざんから麻薬汚染まで

2019/6/17:軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港

2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算

2019/5/13:「平成」の30年間は民主主義の劣化――小選挙区比例代表「偏立」制の罪

2019/5/6:「憲法にのっとる」のか、「憲法をのっとる」のか――安倍流改憲

2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ

2019/4/22:なぜ、加計学園獣医学部にこだわるか――忘れてはならないこと

2019/4/15:雑談(119)「断捨離」と「終活」――「緑寿」を契機に

2019/4/8:統治技術としての「時間」――新元号の決まり方の異様

2019/3/31:安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす

2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ

2019/3/18:菅原文太さんのこと(その2)――八ヶ岳の農園にて

2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年

2019/3/4:「私は立法府の長」――権力分立なき日本の「悪夢」

2019/2/25:右翼ポピュリズムと憲法理論――ベッケンフェルデ民主制論の悪用

2019/2/18:「フェイスブック宰相」は「フェイク宰相」――安倍晋三とネトサポ

2019/2/11:元号は政権の私物なのか――元号法制定40周年

2019/2/4:雑談(118)今時の学生たち(3)――16021人の「法学」受講生

2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む

2018/12/31:安倍政権の「影と闇」――「悪業と悪行」の6年

2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす

2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務

2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語

2018/11/19:「総理が「平成30年4月開学」とおしりを切った」から――歪められた行政の現場へ(その2)

2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録

2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅(その2))

2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具

2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ

2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))

2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振中東部地震

2018/8/27:「新聞を読むな」という政権――「新聞を読んで」の今は昔

2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ

2018/8/13:「遺物」から迫る日航123便事件――隠蔽、捏造、改ざんの連鎖

2018/7/30:ゆがめられた選挙法――総裁3選の手段に?

2018/7/23:「学位」をめぐる規制緩和の「効果」

2018/7/16:「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」

2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を

2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ

2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの

2018/5/28:武蔵野の空襲と防空法――「わろてんか」の「建物疎開」にも触れて

2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して――映画「否定と肯定」と

2018/5/7:読売マッチポンプの罪――安倍流「憲法改ざん」と前木政治部長

2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件

2018/4/9:安倍政権の終わり方――「アッキード事件」と「日報」問題

2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも

2018/2/19:安倍政権と日本社会の「赤報隊」化

2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相

2018/1/1:憲法存亡の年のはじめに――直言更新1110回

2017/12/25:「憲法違反常習首相」――安倍政権下の失われた5年

2017/12/18:わが歴史グッズの話(41)象徴天皇制を象徴するもの

2017/11/27:『きみはサンダーバードを知っているか』発刊から25年

2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに

2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)

2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)

2017/9/4:雑談(115)「スマートなアホ化」と政治

2017/8/28:映画「恵庭事件 知られざる50年目の真実」に寄せて

2017/8/21:憲法は究極の「岩盤規制」――安倍式改憲の最終コーナー

2017/8/7:日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ

2017/7/10:「即席の受け皿」の危うさ――東京都議選の効果

2017/7/3:「ねじれ解消」からの脱却――安倍「自爆改憲」を止める

2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて

2017/6/12:介入と忖度――『相棒』『ウルトラマン』の脚本家・太田愛さんとの対談(『世界』6月号)

2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに

2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年

2017/4/24:勘繰る政治――忖度と迎合、権力分立の荒野

2017/4/17:「立憲主義からの逃走」――ドイツとトルコの大統領

2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ

2017/3/6:第96代内閣総理大臣の「恥ずかしい」政治言語

2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?

2017/2/6:雑談(113)「直言」20年のこと――管理人の視点から

2017/1/9:「憲法くん」の古稀――日本国憲法施行70年へ

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債

2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?

2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任

2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9

2016/10/31:わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒

2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務

2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読

2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz

2016/5/30:ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち

2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に

2016/5/9:外国人管理の現場へ――安倍首相の欧州「首脳外食」を横目に

2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)

2016/2/22:権力の私物化と「生業としての政治」

2016/2/15:会計検査院と特定秘密保護法――憲法90条の今日的意義

2016/2/8:雑談(111)映画「野火」をみる――戦争のリアル

2015/1/18:「直言」19年、1000回――さまざまな反響

2015/1/11:メディア腐食の構造――首相と飯食う人々

2015/1/4:「海外派兵リアル」の年――「ドイツからの直言」再び

2015/12/28:立憲主義が問われた年――2015年の終わりに

2015/12/21:介入三昧・安倍的「国家先導主義」――賃上げから「就活」まで

2015/11/2:「1000分の1程度の解釈改憲」と憲法学

2015/10/26:臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反

2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと

2015/9/28:2016年参院選へ――明文改憲へのシフト

2015/9/7:55年目の国会前の風景――「民主主義ってなんだ!」

2015/7/27:NHK憲法研究者アンケートのこと――合憲・違憲の決着はついている

2015/7/20:「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!――安倍政権の傲慢無知

2015/6/29:95日間の会期延長――「衆議院の超越」は二院制の否定

2015/6/15:安保関連法案は「一見極めて明白に違憲」

2015/5/25:子どもを米国の戦争で死なせない――女性週刊誌と安保法制

2015/5/11:戦後70年の憲法記念日――「安倍カラー」に抗して

2015/5/4:「つぶやき民主主義」の陥穽

2015/4/27:協議の中身は「例外なき事後承認」――『ライブ講義』を応用して嘘を見破れ

2015/4/6:「君はこのごろ平和についてどう考えてる」――安倍流「積極的平和主義」に抗して

2015/3/30:「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)

2014/2/23:安倍「最高指揮官」への懐疑

2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻

2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)

2014/12/22:選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣

2014/12/15:二人に一人しか投票しない「民主主義国家」

2014/12/8:菅原文太さんのこと――久田栄正没後25年に

2014/11/24:「安倍晋三解散」の異様な風景

2014/11/17:「念のため解散」は解散権の濫用か

2014/10/13:向田邦子と防空法――火叩きによる消火

2014/10/6:NHK連ドラ「花子とアン」と防空法――大阪空襲訴訟最高裁決定にも触れて

2014/9/29:歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?

2014/9/22:雑談(107)米倉斉加年さんのこと

2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)

2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)

2014/7/21:公明党の「転進」を問う

2014/7/14:安倍式「記者会見ショー」――「憲法違反をします宣言」

2014/7/7:「7.1事件」――閣議決定で「憲法介錯」

2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書

2014/6/23:ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」

2014/6/2:学問の自由が危ない――広島大学で起きたことへの憲法的視点

2014/5/19:平成の「5.15事件」――戦後憲法政治の大転換

2014/5/12:自己抑制を失った安倍政権――憲法施行67周年に

2014/4/21:集団的自衛権行使を国民は支持していない――最近の世論調査

2014/4/14:「戦死者を出す覚悟」?――自らは決して「戦場」に赴くことのない政治家の勇ましさ

2014/3/24:「安保法制懇」は何様のつもりか――安倍式政権運営の歪みの象徴

2014/3/17:NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」と防空法

2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉

2014/2/10:安倍色に染まる日本――「ねじれ」解消の果てに

2014/1/20:辻井喬さんと品川正治さんを悼む

2013/12/09:「ねじれ解消」の深刻な効果――特定秘密保護法成立

2013/12/02:特定秘密保護法の「還暦条項」

2013/11/04:安倍首相の「意志の勝利」――おごれる権力者は久しからず

2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」

2013/8/19:「フェイスブック宰相」の靖国参拝

2013/7/23:「ねじれ解消」と「3 分の2 」の間――2013年参議院選挙

2013/7/15:増田れい子さんとの出会いと別れ――2 冊の本を通じて

2013/7/8:被災地から考える参院選――震災遺構と復興予算

2013/6/10: 国防軍でなかったからこそ―イラクで死者ゼロの理由

2013/5/27:「96条の会」発足―立憲主義の定着に向けて(1)

2013/5/13:「憲法デマゴーグ」の96条改正論

2013/4/22:三國連太郎と軍隊

2013/4/1:「憲法96条研究会」と選挙無効判決

2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視

2013/3/4:雑談(98)映画で戦争を描くということ

2013/2/25:「アベコベーション」の日本――とりあえず憲法96条?

2013/01/28:アルジェリア人質事件をどう考えるか

2012/12/31:「憲法突破・壊憲内閣」の発足

2012/12/24:政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙

2012/12/17:もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる

2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」

2012/11/19:違憲状態の総選挙――「近いうちに解散」の結果

2012/10/29:「東京維新」と大日本帝国憲法――世はアナクロニズムに満ちて(2・

2012/10/22:首相の「五省」と「奮励努力」――世はアナクロニズムに満ちて(1)

2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)

2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)

2012/9/24:改憲への「大連立」――『毎日』憲法世論調査への疑問

2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完) 2012年9月10日

2012/9/3:全周トラブル状況の日本――沖縄で考えたこと

2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア

2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣

2012/7/9:雑談(80)「脱IT依存」は可能か

2012/7/2:「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化

2005/5/9:映画「戦争のはじめかた」の「おわりかた」

2012/4/16:雑談(93)音楽よもや話(18)テレビと音楽

2012/1/16:雑談(90)音楽よもや話(17)年末に朝比奈隆三昧

2011/9/26:雑談(87)映画「ククーシュカ――ラップランドの妖精」と「超越法」

2011/1/31:さようなら「新聞を読んで」

2010/9/27:ゲゲゲのゲーテ――教員養成に必要なこと

2010/6/14:新聞の衰退は政治の腐敗の始まり?――「新聞をヨム日」

2010/5/17:戦争の「無人化」と「民営化」

2010/4/12:日航123便墜落事件から25年――『天空の星たちへ』のこと

2010/4/5:裁判官の「良心」とは

2010/3/29:学位が売られる?

2010/3/22:雑談(78)ラジオよもや話

2009/5/11:人命救助の思考と行動

2009/2/2:雑談(71)テレビドラマのこと

2008/10/6:雑談(69)音楽よもや話(11)「おくりびと」と「交響曲第0番」

2008/4/7:立憲主義と民主集中制

2007/12/17:メディアがつくる勘違い

2007/11/19:裁判員制度が始まるけれど(1)

2007/8/13:映画「TOKKO-特攻-」を学生と観る

2007/3/12:人間使い捨て時代を問う

2006/9/18:「あれから5年」――何が変わったのか(その2・完)

2006/9/11:「あれから5年」――何が変わったのか(その1)

2006/4/17:「心のコートを脱ぎ捨てて」

2006/3/27:わが歴史グッズの話(20)戦場の手鏡と「大和」

2006/2/20:「ハイジャック機撃墜法」の違憲判決

2005/4/18:「国民的憲法合宿」のこと

2004/10/11:雑談(36)寅さんと鎌倉アカデミア

2004/7/26:日本大衆文化の統制と開放――韓国で考える(4-完)

2003/11/3:視聴率と大学授業評価

2003/8/18:雑談(27)踊れない大捜査線

2003/6/2:日弁連主催の集会で語ったこと

2003/4/28:雑談(23)清兵衛とピアニスト

2002/10/28:雑談(20)沖縄でサイパン戦をみる

2002/8/12:雑談(18)「北の国から」に寄せて

2002/5/11:映画「トンネル」から見えるもの

2002/3/11:映画「軍隊をすてた国」をみる

2001/8/13:痛みを伴う「塀の穴」の話

2001/5/28:雑談(9)映画「スターリングラード」

2001/2/5:「小さき人々の記録」をみる

1999/6/7:「レマゲン鉄橋」の星条旗

1998/12/28:1998年最後の「直言」

1998/12/14:カーチス・ルメイという男

1998/11/2:「プライベート・ライアン」を観る

1998/7/20:米国製「ゴジラ」の核感覚

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