自然・環境・原子力・感染症
2024/3/25:さようなら、早稲田大学――大学入学から52年
2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)
2023/11/6:雑談(140)牧野富太郎と水島正美――NHK連続ドラマ「らんまん」を契機に
2023/10/9:「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの――この国の民主主義に熟議はない
2022/8/29:「安倍国葬」はあり得ない――根拠・人物・警備・コロナetc.
2022/6/27:有権者はいつまで「沈黙」を続けるのか――コロナで広がる「黙」の世界
2022/1/10:雑談(129)音楽よもやま話(28)コロナ禍のコンサート(その2)――早稲フィル第85回定期演奏会のこと
2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定
2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」
2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020
2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文
2021/5/31:信濃毎日新聞の二つの社説――「関東防空演習」と「東京2020」
2021/5/24:「内閣総理大臣が欠けたとき」――石橋湛山と安倍晋三
2021/5/17:なぜ、日本はワクチン接種が進まないのか――個人的体験も交えて
2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に
2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点
2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった
2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて
2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語
2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を
2021/1/18:「複合災害」にいかに対処するか――国土交通省発足20周年に
2021/1/11:雑談(125)音楽よもやま話(27)コロナ禍のコンサート――早稲フィル第83回定期演奏会のこと
2021/1/4:安倍晋三氏は議員辞職すべし(その3)――13年前の「直言」から
2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー
2020/12/21:「アベノコトバ」がもたらしたもの――安倍・菅政権の8年
2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)
2020/8/24:コロナ禍の大学の授業――水島ゼミ23、24期生の活動から
2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?
2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために
2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて
2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本
2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点
2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀
2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意
2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く
2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)
2019/9/23:安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)
2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年
2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振中東部地震
2018/8/20:大宰相か、「大災相」か――「安倍3選」というカタストロフ
2018/7/16:「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」
2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)
2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?
2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議
2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)
2015/11/16:わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」と して提供可能?
2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと
2014/12/8:菅原文太さんのこと――久田栄正没後25年に
2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙
2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」
2013/9/16:東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」
2013/7/8:被災地から考える参院選――震災遺構と復興予算
2013/5/20:SF政治(催眠政治)にご用心――「アベノミクス」とTPP
2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年
2013/02/18: 北東アジアの危うい現実――六カ国協議の再起動に向けて
2012/11/12:「子ども国会」と「子どものケンカ国会」
2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア
2012/7/2:「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化
2011/5/16:大震災の現場を行く(2)――「避難所」になった女川原発
2011/5/2:大震災の現場を行く(1)――郡山から南相馬へ
2011/4/25:原発のない社会へ――チェルノブイリから25年
2011/4/11:想定外という言葉――東日本大震災から1か月
2011/3/21:これは真正の非常事態だ――地震、津波、火事、原発…
2011/3/14:変わる大学――学生=消費者「顧客満足度至上主義」
2010/8/23:どこからでも見える「塔」の記憶――東ベルリンテレビ塔と東京スカイツリー
2008/8/25:「大根派」的発想のこと――新型戦車の「もったいない」