地方自治
2024/8/5:3選した都知事の罪――虚偽事項公表罪を中心に
2024/7/22:2人の米空軍兵長のこと――酒気帯び運転と性暴力事件
2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足
2024/4/29:政治家にとっての「学位」とは──剽窃・盗用と詐称・粉飾
2024/3/11:「1.1大震災」から70日――なぜtoo late, too littleは繰り返されるのか
2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括
2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって
2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年
2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年
2021/11/29:武蔵野市住民投票条例の何が問題なのか――憲法蔑視の荒野
2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」
2021/9/27:16年前も日本とドイツで総選挙――問われる「並立制」と「併用制」
2021/9/20: 「アベ的なるもの」の終わりの始まり――回想2012年9月26日総裁選
2021/6/21:安全保障関連の土地建物調査・規制法――「令和の要塞地帯法」
2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで
2021/5/17:なぜ、日本はワクチン接種が進まないのか――個人的体験も交えて
2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった
2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本
2020/6/29:「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ
2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗
2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ
2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために
2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて
2020/2/3:「馬鹿が戦車でやって来る」――イラク・ボディ・カウントは続く
2020/1/20:首都直下地震への四半世紀?―阪神・淡路大震災から四半世紀
2019/12/23:「反社勢力」に乗っ取られた日本――安倍政権7年の「悪夢」
2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ
2019/3/31:安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす
2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ
2019/3/11:「復興五輪」というフェイク――東日本大震災から8年
2019/2/18:「フェイスブック宰相」は「フェイク宰相」――安倍晋三とネトサポ
2019/1/21:防空法の「逃げるな、火を消せ」に抗して――松山、大垣、八王子の空襲
2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む
2018/12/24:教育デジタル化のために憲法改正――ドイツ基本法第63次改正の迷走
2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす
2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務
2018/11/19:「総理が「平成30年4月開学」とおしりを切った」から――歪められた行政の現場へ(その2)
2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項―北ドイツ・デンマークの旅 (その3))
2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ
2018/9/10:大災害と「大災相」――北海道胆振中東部地震
2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ
2018/7/9:「ゆがめられた行政」の現場へ―獣医学部新設の「魔法」
2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの
2018/4/2:東日本大震災7年の福島と憲法――「帰還困難区域」にも
2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)
2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)
2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース
2017/7/10:「即席の受け皿」の危うさ――東京都議選の効果
2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて
2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに
2017/3/27:「構造的忖度」と「構造的口利き」――「構造汚職」の深層
2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?
2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年
2016/11/7:「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に
2016/10/3:2つの「ドイツ統一の日」――欧州の揺らぎのなかで
2016/9/19:沖縄「高江」から見えるもの――それにもかかわらず(Trotz alledem)
2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く
2016/9/5:連邦憲法裁判所に入る――建物の軽さと存在の重さ
2016/8/29:ドイツで「冤罪事件」に巻き込まれる――車内改札制度の盲点
2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)
2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)
2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙
2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz
2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ
2016/4/18:難民問題が与えるさまざまな影響――ドイツからの「直言」(3)
2015/11/9:「沖縄処分」――安倍政権による地方自治の破壊
2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)
2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)
2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)
2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)
2014/9/1:抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)
2014/8/11:安倍政権とコピペ文化――安保法制懇はどこで議論していたのか
2014/6/30:自衛隊に武力行使させるな――南相馬市議会意見書
2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉
2014/2/10:安倍色に染まる日本――「ねじれ」解消の果てに
2014/2/3:垂直の「ねじれ」をつくれるか――東京都知事選挙
2014/1/27:地方選挙と基地・原発――連続更新900回に
2013/4/29:権力者は「9」のつく憲法条文がお嫌い?――9・19・59・90・92・94・96条
2012/10/29:「東京維新」と大日本帝国憲法――世はアナクロニズムに満ちて(2・
2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)
2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)
2012/9/24:改憲への「大連立」――『毎日』憲法世論調査への疑問
2012/9/17:権力者が芸術・文化に介入するとき――大阪市長と大阪フィル
2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完)
2012/8/27:攻め込んでいく防犯?――「安全・安心社会」の盲点(2)
2012/3/19:「復興」と「仮の町」――東日本大震災から1年(その2)
2011/6/20:大震災の現場を行く(6-完)――大槌町吉里吉里
2011/6/13:大震災の現場を行く(5)――陸前高田の人々
2011/3/21:これは真正の非常事態だ――地震、津波、火事、原発…
2010/8/23:どこからでも見える「塔」の記憶――東ベルリンテレビ塔と東京スカイツリー
2010/5/3:これは「沖縄問題」なのだろうか――日本国憲法施行63周年
2010/2/1:「片山事件」と北海道――自衛隊「事業仕分け」へ
2008/6/23:米軍再編の「点と線」――沖縄・岩国・夕張
2000/10/01:「ビッグレスキュー東京2000」への疑問