平和

2024/11/13:雑談(147)音楽よもやま話(35)「ウクライナ戦争」で音楽監督を辞任したロシア人指揮者のブルックナーを聴く

2024/11/6:「もしトラ」が「ほんトラ」に――2024年米大統領選挙と日本

2024/10/21:「ウクライナ戦争」はなぜ終わらないのか――「不都合な真実」もろもろ

2024/10/12:【緊急直言】日本被団協にノーベル平和賞――「ヒロシマ・ナガサキ80年」を前に

2024/9/30:軍事的合理性にこだわる首相の誕生――「最短」総選挙の後に

2024/9/9:自由民主党第2代総裁のこと――時代は「誰」を求めるか !?

2024/8/26:特攻の「思想」――NHKスペシャル『“一億特攻”への道』など

2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う

2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル

2024/7/29:「不死身のトランプ」の帰還?――AR-15と全米ライフル協会

2024/7/22:2人の米空軍兵長のこと――酒気帯び運転と性暴力事件

2024/7/15:NATOグローバル化のパラドックス――「米国以外の国に戦争をやらせる体制」

2024/7/1:「7.1閣議決定」から10年――徳島で考える

2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足

2024/5/13:防衛副大臣の「適性評価」は大丈夫か――「セキュリティ・クリアランス」制度の落とし穴

2024/4/22:大軍拡の時代――「行動原理としての戦争適性能力」

2024/4/15:「戦争可能な正常国家」――日米軍事一体化と「統合作戦司令部」

2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題

2024/3/18:わが歴史グッズの話(53)研究室の転進に寄せて――「歴史グッズ」入手の挿話も

2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に

2024/2/19:雑談(142)音楽よもやま話(34)「世界のオザワ」のこと――ブルックナーとP51

2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2024/1/1:「次世代」と広島を訪れ、ヒロシマを考える―2024年の抱負

2023/12/18:欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」――「安保3文書」から1年

2023/12/11:ビジネスライクな「空爆」――秋田・土崎空襲の現場、再訪

2023/11/27:「陳腐化」した兵器をウクライナに?――多連装ロケットシステム(MLRS)

2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景

2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”

2023/10/30:三笠宮崇仁と憲法9条――憲法制定過程における発言から

2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは

2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に

2023/9/11:ナチスが迫害したのはユダヤ人だけではなかった――障害者から女性同性愛者まで

2023/9/4:長沼事件一審判決から50年――憲法9条2項が「在ること」の意味

2023/8/14:大日本帝国も「自衛のための必要最小限度」?──戦後78年に問う「自衛」なるもの

2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?

2023/7/31:「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?――岸田政権の暴走を止めるために

2023/7/17:ドイツ憲法史の「つまずきの石」とヴァンゼー会議――「直言」更新1400回に

2023/7/3:高額兵器爆買いの岸田政権の安全保障政策――いま、「現場」で何が起きているか

2023/6/19:「6月17日事件」から70年――T-34戦車につぶされた自由

2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争

2023/5/29:日本はE20(死刑執行国20カ国)の一つ――孤立する岸田政権

2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー

2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」

2023/5/1:19年前に改憲案を起草した統合幕僚長――憲法尊重擁護義務の射程

2023/4/17:雑談(138)音楽よもやま話(33)「チェコ事件」とチェコフィル――非暴力抵抗を続けた『わが祖国』

2023/3/20:わが歴史グッズの話(51)イラク戦争から20年――もう一つの侵略戦争

2023/3/13:戦で死ぬ兵たちのこと――「その他大勢」の思想

2023/3/6:核シェルターという壮大なる無駄――「防護して生き残れ」ではなく「抗議して生き残れ」

2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)

2023/2/20:「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス

2023/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」

2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年

2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で

2023/1/9:雑談(135)音楽よもやま話(32)チャイコフスキーは「敵性音楽」か?――早稲フィル会長退任の弁

2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって

2022/12/26:「壊された10年」――第2次安倍晋三内閣発足の日に

2022/12/19:「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」

2022/12/12:中村哲さんの殺害から3年――日本は武力を行使する国になるのか

2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策

2022/11/14:雑談(134)『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く

2022/11/7:東西ドイツ国境にかかる虹――「ベルリンの壁」崩壊33年

2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年

2022/10/10:連立政権23年、公明党のディレンマ――安全保障と政教分離

2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀

2022/9/26:「安倍国葬」と統一教会――自公政権の葬送狂騒曲

2022/9/19:「台湾でドンパチ、日本で戦争」?――台湾の大学院生の批判的応答

2022/9/12:「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀

2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年

2022/8/15:わが歴史グッズの話 (50) 軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に

2022/8/1:「反社勢力」に乗っ取られた日本(その2)――第2次安倍政権発足10年を前に(その1)


2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬

2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/7/4:第4回参議院選挙の風景――「3分の1」の問われ方

2022/6/20:アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは

2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ

2022/6/6:雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」

2022/5/30:NATO「北方拡大」は何をもたらすか──「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相

2022/5/23:戦争をいかに止めるか――『ロシア 小さき人々の記録』から考える

2022/5/16:映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル──軍備強化の既視感

2022/5/9:「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項(戒厳令)適用をうかがう?

2022/5/2:ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に

2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年

2022/4/18:反戦デモは「グレーゾーン事態」か?――2020年陸幕記者説明資料と「60年安保と治安出動」

2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」

2022/4/4/:「フォークランド戦争」から40年――「戦争」を選ぶ指導者たち

2022/3/28:わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理――兵器の在庫処分と新兵器の実験場

2022/3/21:「大本営発表」はロシアだけではない──メディアが伝えないウクライナの「不都合な真実」

2022/3/14:戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層

2022/3/7:「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明


2022/2/28:「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの7日間戦争」が始まるなかで

2022/2/21:ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル

2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?

2022/1/24:追悼・外岡秀俊さん――いま、ジャーナリストに求められるもの

2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか

2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定

2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年

2021/9/6:アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20年

2021/8/23: パラリンピックは中止すべきである――この国に「総理」大臣はいるのか

2021/8/16:「8.15」、沖縄からの視点――「直言」更新1300回

2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020

2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文

2021/7/12:どうやったら投票率はあがるか―「マニフェスト」+「選択しない選択」

2021/7/5:身近な戦争体験から考える――「蘆溝橋事件」84周年を前に

2021/6/21:安全保障関連の土地建物調査・規制法――「令和の要塞地帯法」

2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に

2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点

2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法

2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて

2021/3/8:「普通の国」の「普通の軍隊」へ――「普通の子・バイデン」の米国との関係

2021/2/22:裁判所が認めた「抵抗権」――台湾最高裁判決の問題性

2021/2/15:雑談(126)パワポの「功罪」――アナログとデジタルの「間」

2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか

2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの

2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて

2020/10/19:科学者が戦争に協力するとき――「科学技術非常動員」文書から見えるもの

2020/10/5:日本学術会議6教授拒否事件――またもや違憲の解釈変更で?

2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣

2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと

2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい

2020/8/24:コロナ禍の大学の授業――水島ゼミ23、24期生の活動から

2020/8/10:コロナ便乗改憲と「戦後75年」――核兵器禁止条約にも触れて

2020/8/3:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その3・完)――過大評価と過剰対応

2020/7/27:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その2)――法的、軍事技術的視点から

2020/7/20:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その1)――韓国との事前協議が必要

2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?

2020/6/22:イージス・アショアの「もったいない」(その2・完)―グローバル安保からスペース安保へ?「宇宙作戦隊」新編

2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗

2020/5/25:ネバー・エンディング無責任――遠隔授業をやりながら考える

2020/5/3:日本国憲法施行73周年――「コロナ便乗型改憲」へ

2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告

2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点

2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法

2020/3/9:安倍首相に「緊急事態」対処を委ねる危うさ――「水際」と「瀬戸際」の迷走

2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/2/3:「馬鹿が戦車でやって来る」――イラク・ボディ・カウントは続く

2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」

2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く

2019/12/16:わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」――クラスター弾(その2)

2019/12/9:『戦争とたたかう』ということ――久田栄正没後30年

2019/12/2:雑談(121)「世界トイレの日」に寄せて――「れいわ」議員の初質問

2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」

2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年

2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/10/21:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)

2019/10/14:「東日本大水害」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その3)

2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年

2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年

2019/8/26:安倍色に染まった日本――なぜ日韓関係はここまで悪化したか

2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?

2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち

2019/7/22:34年間隠蔽されている「日航123便事件」、法廷へ――早大法学部シンポジウム

2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」

2019/6/17:軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港

2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算

2019/6/3:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(2・完)

2019/5/27:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(1)

2019/5/13:「平成」の30年間は民主主義の劣化――小選挙区比例代表「偏立」制の罪

2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」

2019/1/21:防空法の「逃げるな、火を消せ」に抗して――松山、大垣、八王子の空襲

2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む

2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって

2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす

2018/11/26:「過去の克服」のかたち――ノイエンガンメ強制収容所 (北ドイツ・デンマークの旅(その4・完))

2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)

2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具

2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))

2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ

2018/8/13:「遺物」から迫る日航123便事件――隠蔽、捏造、改ざんの連鎖

2018/8/06:わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク

2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を

2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か

2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ

2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの

2018/5/28:武蔵野の空襲と防空法――「わろてんか」の「建物疎開」にも触れて

2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して――映画「否定と肯定」と

2018/4/30:わが歴史グッズの話(43)朝鮮戦争「休戦」から「終戦」へ

2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件

2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法

2018/3/19:「フェイク改憲」に対案は不要――「改憲論戯」からの離脱を

2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に

2018/3/5:憲法改正のアベコベーション――「フェイク改憲」

2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」

2018/2/5:わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊

2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相

2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景

2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル

2017/12/11:天皇退位めぐる法と政治――安倍流権力私物化はどこまでも

2017/11/27:『きみはサンダーバードを知っているか』発刊から25年

2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに

2017/10/20:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって

2017/10/19:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その3)――憲法前文とその意義

2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義

2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)

2017/8/28:映画「恵庭事件 知られざる50年目の真実」に寄せて

2017/8/21:憲法は究極の「岩盤規制」――安倍式改憲の最終コーナー

2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース

2017/8/7:日航123便墜落事件から32年――隠蔽の闇へ

2017/7/17:『平和の憲法政策論』を世に問う――安倍改憲の時代に

2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて

2017/6/12:介入と忖度――『相棒』『ウルトラマン』の脚本家・太田愛さんとの対談(『世界』6月号)

2017/5/22:安倍晋三トルクメニスタン大学名誉教授の改憲論と大学論

2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年

2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ

2017/3/20:ヴァンゼー会議の75周年――トランプ政権発足の日

2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」

2017/1/30:「無知の無知」の突破力――安倍流ダブルスピーク/a>

2017/1/16:わが歴史グッズの話(39)――「靖国合祀遺族セット」

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/12/26:「新世界無秩序」への予兆――2016年の終わりに

2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債

2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?

2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任

2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9

2016/10/31:わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒

2016/10/17:「駆け付け警護」――ドイツに周回遅れの「戦死のリアル」

2016/10/10:憲法97条は条文整理の対象にならない――「アベコベーション」の日本へ

2016/9/19:沖縄「高江」から見えるもの――それにもかかわらず(Trotz alledem)

2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)

2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務

2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)

2016/8/1:ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)

2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)

2016/7/18:「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える

2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン

2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議

2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に

2016/5/9:外国人管理の現場へ――安倍首相の欧州「首脳外食」を横目に

2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)

2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)

2016/3/21:勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章

2016/3/7:憲法研究者と安保関連法――元最高裁判事・藤田宙靖氏の議論に寄せて

2016/2/29:「軍」の自己主張――帝国憲法の緊急事態条項と「2.26事件」80周年

2016/2/1:ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」

2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ

2015/1/4:「海外派兵リアル」の年――「ドイツからの直言」再び

2015/12/28:立憲主義が問われた年――2015年の終わりに

2015/11/23:パリ「11.13事件」へのもう一つの視点

2015/11/16:わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」と して提供可能?

2015/11/2:「1000分の1程度の解釈改憲」と憲法学

2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと

2015/10/5:国連常任理事国入りのために――誰が内閣法制局を壊したのか

2015/9/28:2016年参院選へ――明文改憲へのシフト

2015/9/21:安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に――憲法違反を唱え続けよ

2015/9/14:気分はすでに「普通の軍隊」――アフリカ軍団への道?

2015/9/7:55年目の国会前の風景――「民主主義ってなんだ!」

2015/8/31:「捜索救助活動」のグローバル化――「周辺」と「後方地域」が外れた効果

2015/8/24:「平成の三矢作戦研究」――統幕部内資料の既視感

2015/8/17:「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話

2015/8/10:「日航123便墜落事件」から30年

2015/8/3:新たな「戦前民主主義」の時代――国会前で起きていること

2015/7/30:緊急直言 「先制攻撃」と「先に攻撃」を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために

2015/7/27:NHK憲法研究者アンケートのこと――合憲・違憲の決着はついている

2015/7/20:「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!――安倍政権の傲慢無知

2015/7/13:集団的自衛権は「自然権」ではない――「合憲」学者の謬説

2015/7/6:「違憲立法」成立に加担する維新の党――「独自案」の本質

2015/6/29:95日間の会期延長――「衆議院の超越」は二院制の否定

2015/6/22:「憲法の番人」とは誰か――高村正彦弁護士に問う

2015/6/15:安保関連法案は「一見極めて明白に違憲」

2015/6/8:「自衛隊員のリスク」と「国民のリスク」

2015/6/2:緊急直言 集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)

2015/6/1:外国領土での抗命の処罰規定を新設――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その1)

2015/5/25:子どもを米国の戦争で死なせない――女性週刊誌と安保法制

2015/5/4:「つぶやき民主主義」の陥穽

2015/4/27:協議の中身は「例外なき事後承認」――『ライブ講義』を応用して嘘を見破れ

2015/4/20:「新要件」から「新事態」?――箍が外れた安保法制論議(3)

2015/4/6:「君はこのごろ平和についてどう考えてる」――安倍流「積極的平和主義」に抗して

2015/3/30:「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)

2015/3/23:日本型文民統制の消滅――箍が外れた安保法制論議(1)

2015/3/9:安倍首相の「責任」の意味を問う――人質殺害事件

2015/3/2:「武器等防護」で米軍も守る?――安保法制論議の迷走

2014/2/23:安倍「最高指揮官」への懐疑

2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く

2015/2/9:「テロとの戦い」の陥穽――「暴力の連鎖を超えて」再び

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻

2015/1/12:国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)

2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階

2014/12/22:選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣

2014/12/8:菅原文太さんのこと――久田栄正没後25年に

2014/12/1:総選挙の争点――安倍政権から日本を取り戻す

2014/11/10:「ベルリンの壁」崩壊から4分の1世紀――1年ゼミ生の視点

2014/11/3:安倍政権の「異次元の政策」――常に国民を置き去り

2014/10/20:わが歴史グッズの話(36)日独伊三国同盟――「ともに血を流す関係」

2014/10/13:向田邦子と防空法――火叩きによる消火

2014/10/6:NHK連ドラ「花子とアン」と防空法――大阪空襲訴訟最高裁決定にも触れて

2014/9/29:歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?

2014/9/22:雑談(107)米倉斉加年さんのこと

2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)

2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)

2014/9/1:抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)

2014/8/25:「徴兵制違憲」解釈の変更は「あり得ない」か

2014/8/18:「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)

2014/8/11:安倍政権とコピペ文化――安保法制懇はどこで議論していたのか

2014/8/4:「7.1閣議決定」をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ/a>

2014/7/28:答弁を引き出す国会質疑を――31年前の公明党市川雄一議員の例

2014/7/21:公明党の「転進」を問う

2014/7/14:安倍式「記者会見ショー」――「憲法違反をします宣言」

2014/7/7:「7.1事件」――閣議決定で「憲法介錯」

2014/6/23:ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」

2014/6/16:憲法が「根底からくつがえされる」――正念場の公明党

2014/5/19:平成の「5.15事件」――戦後憲法政治の大転換

2014/4/28:集団的自衛権行使はいかなる「結果」をもたらすか

2014/4/21:集団的自衛権行使を国民は支持していない――最近の世論調査

2014/4/7:「禁じ手」破り――武器輸出三原則も撤廃

2014/3/17:NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」と防空法

2014/3/3:ジャーナリストとは何か――むのたけじ氏の言葉

2014/2/24:「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策

2014/2/17:『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』のこと

2014/1/6:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その1)

2013/12/30:歴史における「2013年」――安倍色の朝へ

2013/10/7:誤解される言葉の風景――「アンダー・コントロール」

2013/9/30:平和における「顔の見える関係」

2013/9/9:沖縄は「中国の防波堤」?―「核心的利益」と「死活的利益」

2013/8/12:憲法9条効果のリアル――「国防軍」改憲は時代錯誤

2013/7/29:「ねじれなくなった政治」の先に――海兵隊と軍法会議

2013/6/24:自衛隊と「サンダーバード」――国防軍でなかったからこそ(2)

2013/6/17:「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)

2013/6/10: 国防軍でなかったからこそ―イラクで死者ゼロの理由

2013/6/3:『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)

2013/5/27:「96条の会」発足―立憲主義の定着に向けて(1)

2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ

2013/4/29:権力者は「9」のつく憲法条文がお嫌い?――9・19・59・90・92・94・96条

2013/4/22:三國連太郎と軍隊

2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視

2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年

2013/3/11:わが歴史グッズの話(35)艦砲と空襲の破片、そして原爆瓦

2013/3/4:雑談(98)映画で戦争を描くということ

2013/2/25:「アベコベーション」の日本――とりあえず憲法96条?

2013/02/18: 北東アジアの危うい現実――六カ国協議の再起動に向けて

2013/01/28:アルジェリア人質事件をどう考えるか

2013/01/21:わが歴史グッズの話(34)警察予備隊63周年――なぜ国防軍なのか

2012/12/31:「憲法突破・壊憲内閣」の発足

2012/12/17:もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる

2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」

2012/10/29:「東京維新」と大日本帝国憲法――世はアナクロニズムに満ちて(2・

2012/10/22:首相の「五省」と「奮励努力」――世はアナクロニズムに満ちて(1)

2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)

2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)

2012/9/3:全周トラブル状況の日本――沖縄で考えたこと

2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣

2012/7/16:日米安保を揺るがすオスプレイ

2012/6/25:原子力基本法が改正された

2012/6/18:防衛大臣における「文民」と「民間人」

2012/6/11:リムパック2010――イージス艦「あたご」が沈めたもの

2012/4/30:わが歴史グッズの話(32)――講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年

2011/12/19:大阪空襲訴訟地裁判決の意義

2011/9/26:雑談(87)映画「ククーシュカ――ラップランドの妖精」と「超越法」

2011/9/12:「9.11」10周年から見えてくるもの

2011/8/15:退去を禁ず――大阪空襲訴訟で問われたこと

2011/4/4:「カダフィ標的作戦」――リビア攻撃とドイツ(2)

2011/3/28:見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1)

2011/3/21:これは真正の非常事態だ――地震、津波、火事、原発…

2011/1/17:湾岸戦争20周年と「意図せざる結果」

2011/1/10:雑談(84)音楽よもや話(15)皇紀2600年奉祝音楽

2010/5/17:戦争の「無人化」と「民営化」

2009/3/2:長沼から岡山へ ―― 平和的生存権の発展

2007/12/31:「偽」の年から「技」の年へ

2006/10/23:『自由からの逃走』と「自由のための闘争」(武力なき「たたかい」)

2006/8/7:ふたつの第9条(その3・完)

2006/7/31:ふたつの第9条(その2)

2006/7/24:ふたつの第9条(その1)

2005/7/4:伝わる言葉を考える

2005/6/6:「対話の不在」克服への道

2005/5/9:映画「戦争のはじめかた」の「おわりかた」

2005/2/21:憲法九条はいらない?

2004/11/15:「永遠の平和」のための「永遠の戦争」?

2004/8/16:どんな武力行使もしないわけ

2004/6/7:イラク戦争と9条改憲

2004/1/26:平和のため地方自治体にできること

2003/12/29:年末の憲法談義

2003/12/15:憲法前文つまみ食いと「瞬間タッチ断言法」の危なさ

2003/9/29:「法による平和」の復興を

2003/9/1:世界貿易センター爆破事件から10年

2003/6/30:日韓共同研究IN沖縄

2002/11/25:北東アジアの安全保障を考える(3-完)

2002/8/26:「法による平和」の危機(その2)

2002/8/19:「法による平和」の危機(その1)

2002/6/3:「備え」あるから「憂い」増え

2002/4/8:有事思考を超えて

2002/4/1:鎌田定夫氏との「出会いの最大瞬間風速」

2002/3/11:映画「軍隊をすてた国」をみる

2002/2/25:有事法制は安全を守れるか

2001/9/17:最悪の行為に最悪の対応

2001/9/3:「もし万一攻めてしまったら」

2001/7/30:東チモールとマケドニア

2001/4/30:「人権トレーニング」 ――カンボジア・ラオスの旅(4)

2001/4/23:21世紀の「鉄砲狩り」 ――カンボジア・ラオスの旅(3)

2001/2/12:コスタリカ市民の憲法意識

2000/2/14:ウェストファリア条約と現代

1999/12/13:久田栄正先生没後10年

1999/11/22:連邦軍元総監の安全保障論

1999/5/24:哲学者ハーバーマスとコソボ戦争

1999/5/17:ハーグ平和会議と緑の党大会

1999/5/10:戦時下の基本法(その2)

1999/1/18:元自衛官の体験的平和論

1998/8/17:茶髪とピアスの8.15

1997/12/29:直言一周年に寄せて

1997/7/6:憲法9条と禁酒宣言

1997/5/19:高齢化社会の平和

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