ドイツ・ヨーロッパ・ロシア
2024/11/13:雑談(147)音楽よもやま話(35)「ウクライナ戦争」で音楽監督を辞任したロシア人指揮者のブルックナーを聴く
2024/10/28:低投票率のもとでの「過半数割れ」――日本の「連立方程式」?
2024/10/21:「ウクライナ戦争」はなぜ終わらないのか――「不都合な真実」もろもろ
2024/9/16:雑談(145)「食」のはなし(20) ドイツパン
2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル
2024/7/15:NATOグローバル化のパラドックス――「米国以外の国に戦争をやらせる体制」
2024/5/27:ドイツの「憲法記念日」(その2・完)――「防御的民主制」が焦点に
2024/5/20:ドイツの「憲法記念日」(その1)――フランクフルト憲法175年とボン基本法75年
2024/4/29:政治家にとっての「学位」とは──剽窃・盗用と詐称・粉飾
2024/4/22:大軍拡の時代――「行動原理としての戦争適性能力」
2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題
2024/3/18:わが歴史グッズの話(53)研究室の転進に寄せて――「歴史グッズ」入手の挿話も
2024/2/19:雑談(142)音楽よもやま話(34)「世界のオザワ」のこと――ブルックナーとP-51
2024/2/12:雑談(141)「食」の話(19)博多手一本「祝うてサンド」から考える
2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して
2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括
2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」
2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)
2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景
2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”
2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは
2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に
2023/10/2:「平和憲法のメッセージ」の持続的発展のために――読者の皆さまへのお願い
2023/9/11:ナチスが迫害したのはユダヤ人だけではなかった――障害者から女性同性愛者まで
2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?
2023/7/31:「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」――岸田政権の暴走を止めるために
2023/7/17:ドイツ憲法史の「つまずきの石」とヴァンゼー会議――「直言」更新1400回に
2023/6/19:「6月17日事件」から70年――T-34戦車につぶされた自由
2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」
2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」
2023/4/17:雑談(138)音楽よもやま話(33)「チェコ事件」とチェコフィル――非暴力抵抗を続けた『わが祖国』
2023/4/10:プーチンと親密な元首相は除名されなかった――ドイツ政党法と党員除名手続
2023/3/13:戦で死ぬ兵たちのこと――「その他大勢」の思想
2023/3/6:核シェルターという壮大なる無駄――「防護して生き残れ」ではなく「抗議して生き残れ」
2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)
2023/2/20:「勝利する」と「負けない」の間――ウクライナ侵攻1年とハーバーマス
2023/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」
2023/1/30:憲法の手続を使って憲法を壊す――ヒトラー権力掌握から90年
2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で
2023/1/9:雑談(135)音楽よもやま話(32)チャイコフスキーは「敵性音楽」か?――早稲フィル会長退任の弁
2022/12/19:「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」
2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策
2022/11/14:雑談(134)『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く
2022/11/7:東西ドイツ国境にかかる虹――「ベルリンの壁」崩壊33年
2022/10/24:雑談(133)音楽よもやま話(31)コンサートの余韻と「予韻」
2022/10/10:連立政権23年、公明党のディレンマ――安全保障と政教分離
2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀
2022/9/12:「安倍国葬」とゴルバチョフの「非国葬」――政治指導者の葬儀
2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年
2022/8/22:雑談(132)「アラ古稀」の心境――「最終模擬講義」を終えて
2022/8/15:わが歴史グッズの話 (50) 軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に
2022/8/8:権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する――「増税分の5分の4を借金返しに」?!
2022/7/25:国葬にふさわしい人物とは誰か――ゲンシャー元独外相の国葬
2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?
2022/7/11:安倍晋三銃撃事件――立憲政治の前提を壊した人物の死
2022/6/20:アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは
2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ
2022/6/6:雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」
2022/5/30:NATO「北方拡大」は何をもたらすか──「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相
2022/5/23:戦争をいかに止めるか――『ロシア 小さき人々の記録』から考える
2022/5/16:映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル──軍備強化の既視感
2022/5/9:「終わりの始まり」の記念日――ロシア憲法87条2、3項(戒厳令)適用をうかがう?
2022/5/2:ユルゲン・ハーバーマス「戦争と憤激」──ドイツがヒョウでなくチーターを送る時代に
2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」
2022/4/4/:「フォークランド戦争」から40年――「戦争」を選ぶ指導者たち
2022/3/28:わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理――兵器の在庫処分と新兵器の実験場
2022/3/21:「大本営発表」はロシアだけではない──メディアが伝えないウクライナの「不都合な真実」
2022/3/14:戦争のために憲法を変える――2020年ロシア憲法改正の深層
2022/3/7:「プーチンの戦争」に反対する――ロシアの研究者と弁護士の抗議声明
2022/2/28:「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの7日間戦争」が始まるなかで
2022/2/21:ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル
2022/2/7:岸田さん、本音はどこですか――「政権維持装置」としての改憲?
2022/1/17:「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界
2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか
2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定
2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」
2021/11/15:日本学術会議問題の本質は何か――ニコラウス・クザーヌス「専門家-素人」相関の視点から
2021/10/4:「安倍院政権」の誕生へ――権力の私物化と「生業としての政治」(その2)
2021/9/27:16年前も日本とドイツで総選挙――問われる「並立制」と「併用制」
2021/9/13:メディアを使った事前運動ではないか――総裁選から総選挙へ
2021/8/9: 雑談(127)映画『お名前はアドルフ?』――「ホロコースト」をコントにする日本へ
2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020
2021/7/19:コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文
2021/6/14:「危険で不安な五輪」の開催強行--任期満了日の解散をにらんで
2021/5/10:「安全・安心」五輪の危うさ――コロナ対策迷走の背後に
2021/4/26:チェルノブイリ原発事故から35年――フクシマからの視点
2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ
2021/4/12:「マンボウ」と「汚染水」の海で――「復興五輪」は終わった
2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法
2021/3/29:「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾
2021/3/22:子どもの夢は会社員――「末は博士か大臣か」は死語
2021/3/15:「復興五輪」の終わり方――ドイツとロシアの「3.11」にも触れて
2021/3/1:もう一つの「緊急事態宣言」――「復興五輪」は死語
2021/2/22:裁判所が認めた「抵抗権」――台湾最高裁判決の問題性
2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を
2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか
2020/12/28:「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー
2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)
2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道
2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの
2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本
2020/10/5:日本学術会議6教授拒否事件――またもや違憲の解釈変更で?
2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣
2020/9/14:メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果
2020/7/6:コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?
2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗
2020/6/1:科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない
2020/5/18:検察庁法改正をめぐる政権の恣意――「法が終わるところ、暴政が始まる」
2020/5/11:この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020/4/27:中欧「コロナ危機」の現場から――ゼミ23期生のスロバキア報告
2020/4/20:この国は「放置国家」になったのか――安倍政権、迷走の果てに
2020/4/13:何のための「緊急事態宣言」なのか――「公衆衛生上の重大事態」に対処するために
2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?――ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて
2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本
2020/3/23:「幻の東京五輪」再び――フクシマ後9年、チェルノブイリ後34年の視点
2020/2/24:新型コロナウイルス感染症と緊急事態条項――またも「惨事便乗型改憲」
2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」
2020/2/3:「馬鹿が戦車でやって来る」――イラク・ボディ・カウントは続く
2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」
2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く
2019/12/2:雑談(121)「世界トイレの日」に寄せて――「れいわ」議員の初質問
2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」
2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年
2019/10/28:憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)
2019/10/21:「虐殺」の現場を歩く――南京の旅(2)
2019/10/07:中国建国70周年の「風景」――南京の旅(1)
2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年
2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年
2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?
2019/8/12:ヴァイマル憲法100周年――「時代」と憲法の関係を考える
2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち
2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選
2019/7/15:逆走をいかに止めるか―憲法政治の「幽霊ドライバー」(その2)
2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」
2019/6/17:軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港
2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算
2019/5/20:ドイツ基本法70周年の風景――「愛すべき基本法」と「みっともない憲法」?
2019/5/13:「平成」の30年間は民主主義の劣化――小選挙区比例代表「偏立」制の罪
2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ
2019/4/15:雑談(119)「断捨離」と「終活」――「緑寿」を契機に
2019/3/31:安倍流改憲と新元号――目的のためには手段を選ばす
2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ
2019/3/4:「私は立法府の長」――権力分立なき日本の「悪夢」
2019/2/25:右翼ポピュリズムと憲法理論――ベッケンフェルデ民主制論の悪用
2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」
2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む
2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって
2018/12/24:教育デジタル化のために憲法改正――ドイツ基本法第63次改正の迷走
2018/11/26:「過去の克服」のかたち――ノイエンガンメ強制収容所 (北ドイツ・デンマークの旅(その4・完))
2018/11/05:首相の「改憲扇動」の違憲性――「憲法改正の歪曲」
2018/10/29:デンマーク系少数派住民の政党(SSW)と5%条項―北ドイツ・デンマークの旅 (その3))
2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅(その2))
2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具
2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))
2018/9/3:雑談(117)音楽よもやま話(24)音楽における「帝王」?
2018/8/06:わが歴史グッズの話(44)番外編・グッズの可能性とリスク
2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か
2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ
2018/6/11:歴史における個人の役割――「翼賛体質」がもたらすもの
2018/6/4:「アベランド」――「神風」と「魔法」の王国
2018/5/14:歴史改ざん主義に抗して― ―映画「否定と肯定」と
2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて
2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景
2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル
2018/1/1:憲法存亡の年のはじめに――直言更新1110回
2017/12/4:議会は「民主主義の心臓」――ドイツ憲法政治のいま
2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに
2017/11/13:雑談(116)音楽よもやま話(23)ブルックナー・オルガン再訪――中欧の旅(その6・完)
2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)
2017/10/23:低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)
2017/10/18:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その2)――「国家の三要素」は「謎の和製ドイツ語概念」なのか
2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義
2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)
2017/9/25:ヒトラー山荘とオーストリアのナチ強制収容所――中欧の旅(その3)
2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)
2017/9/11:ハンガリー国境の「汎ヨーロッパ・ピクニック」の現場へ――中欧の旅(その1)
2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース
2017/7/24:「次期首相候補」だった2人の女性大臣と新手のリクルート施策
2017/6/5:「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)
2017/5/8:ドイツ国旗はデモ隊の旗だった――「ハンバッハ祭」のこと
2017/4/24:勘繰る政治――忖度と迎合、権力分立の荒野
2017/4/17:「立憲主義からの逃走」――ドイツとトルコの大統領
2017/4/10:議員任期延長に憲法改正は必要ない――改憲論の耐えがたい軽さ
2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?
2017/3/20:ヴァンゼー会議の75周年――トランプ政権発足の日
2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?
2017/2/20:雑談(114)ドイツでの生活(2-完)+音楽よもや話(22)ドイツで聴いた音楽
2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」
2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年
2016/12/26:「新世界無秩序」への予兆――2016年の終わりに
2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債
2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?
2016/11/28:権力は人事である――トランプ政権の正体が見えてきた
2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任
2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9
2016/10/31:わが歴史グッズの話(38)最高「責任」者とスターリングラードの水筒
2016/10/24:「総理・総統」へ?――権力者が改憲に執着するとき(その3)
2016/10/10:憲法97条は条文整理の対象にならない――「アベコベーション」の日本へ
2016/10/3:2つの「ドイツ統一の日」――欧州の揺らぎのなかで
2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回
2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く
2016/9/5:連邦憲法裁判所に入る――建物の軽さと存在の重さ
2016/8/29:ドイツで「冤罪事件」に巻き込まれる――車内改札制度の盲点
2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)
2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務
2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)
2016/8/1:ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)
2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)
2016/7/18:「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える
2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読
2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙
2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz
2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ
2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン
2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議
2016/5/30:ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち
2016/5/23:雑談(112)ドイツの生活(1)トイレ編――トイレの話(その3)
2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に
2016/5/9:外国人管理の現場へ――安倍首相の欧州「首脳外食」を横目に
2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)
2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)
2016/4/18:難民問題が与えるさまざまな影響――ドイツからの「直言」(3)
2016/4/11:「自由」と「安全」と――ドイツからの「直言」(2)
2016/4/4:17年で変わったこと、変わらないこと――ドイツからの「直言」(1)
2016/3/28:きな臭い見送りと出迎えと、再び――「ドイツからの直言」へ
2015/1/25:なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ
2015/1/4:「海外派兵リアル」の年――「ドイツからの直言」再び
2015/11/23:パリ「11.13事件」へのもう一つの視点
2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと
2015/9/28:2016年参院選へ――明文改憲へのシフト
2015/9/21:安保関連法「廃止法案」を直ちに国会に――憲法違反を唱え続けよ
2015/8/17:「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話
2015/8/3:新たな「戦前民主主義」の時代――国会前で起きていること
2015/6/22:「憲法の番人」とは誰か――高村正彦弁護士に問う
2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)
2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く
2015/2/9:「テロとの戦い」の陥穽――「暴力の連鎖を超えて」再び
2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?
2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階
2014/12/22:選択しない選択がもたらすもの――安倍第3次内閣
2014/11/10:「ベルリンの壁」崩壊から4分の1世紀――1年ゼミ生の視点
2014/10/20:わが歴史グッズの話(36)日独伊三国同盟――「ともに血を流す関係」
2014/9/29:歴史的逆走の夏――朝日新聞「誤報」叩きと「日本の名誉」?
2014/6/16:憲法が「根底からくつがえされる」――正念場の公明党
2014/4/14:「戦死者を出す覚悟」?――自らは決して「戦場」に赴くことのない政治家の勇ましさ
2014/2/24:「政局的平和主義」――安倍政権の歪んだ対外政策
2014/1/13:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その2・完)
2013/12/30:歴史における「2013年」――安倍色の朝へ
2013/11/18:高級ワインも特定秘密?――1999年ボン日本大使館事件
2013/11/04:安倍首相の「意志の勝利」――おごれる権力者は久しからず
2013/10/15:雑談(102) 焼き切れたタイヤキャップの思い出
2013/8/5:秘密保全法は何を守るのか―スノーデン事件が問うもの
2013/7/01: 日本の「ハイテク・トイレ」―トイレの話(その2)
2013/6/17:「6月17日事件」60周年――立憲主義の定着に向けて(3)
2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ
2012/12/24:政治の劣化と選挙制度――2012年総選挙
2012/12/17:もう一つの「一票の軽さ」――総選挙終わる
2012/9/17:権力者が芸術・文化に介入するとき――大阪市長と大阪フィル
2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完)
2012/8/13:どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア
2012/7/30:選挙法は憲法違反――ドイツ連邦憲法裁判所判決
2012/7/2:「首相官邸前異状なし、報告すべき件なし」――テレビ報道の劣化
2012/1/2:「2012問題」の年頭に――「故郷を求める権利」
2011/9/19:大臣の「一挙手一投足」――軍服を着た独副首相
2011/8/22:「壁」を作る側の論理――「ベルリンの壁」建設50周年
2011/7/18:政治家の剽窃――ドイツでも政治不信が深刻
2010/8/23:どこからでも見える「塔」の記憶――東ベルリンテレビ塔と東京スカイツリー
2010/1/18:何のための「戦死」か――アフガン戦争9年目の現実
2009/11/9:「ベルリンの壁」崩壊20周年――世界の西と東の風景
2009/8/27:特別直言 「投票の秘密」は守られているか
2009/8/17:ドイツ軍少佐からの白バラ――軍人の抗命権・抗命義務
2009/5/18:雑談(73)音楽よもや話(12)私の音楽遍歴
2009/4/6:「家の前の戦争」から10年 ―― NATO60周年
2009/3/16:海賊対策のもう一つの道 ―― 海賊と日本(2・完)
2009/3/9:「海賊新法」は何が問題か ―― 海賊と日本(1)
2009/2/23:雑談(72)「食」のはなし(14)戦闘食
2008/10/13:「対テロ戦争」とドイツ連邦軍――勲章と改憲
2008/2/18:雑談(66)音楽よもや話(10)元旦と「運命」
2008/2/11:死刑で日中「友好」はやめよう――韓国〔ドイツ〕の途
2008/1/28:洞爺湖町民上空/噴火湾上空の民間機を撃墜せよ!?
2007/9/10:テロ特措法延長問題――前提から問いなおす議論を
2007/2/12:海外出動「本来任務」化の意味――ドイツの教訓から
2006/12/26:雑談(46)音楽よもや話(8)早稲フィルの「第九」
2005/3/21:雑談(40)音楽よもや話(5) WPOのこと(その1)
2003/6/16:イラクとコンゴ――派兵目前の日本とドイツ
2002/4/22:徴兵制がなくなる日――ドイツのジレンマ2
2001/10/22:「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すなかれ」
1999/5/30:緊急直言・シェルター内で考えた周辺事態法
1999/4/6:緊急直言・軍人への戦争参加拒否の呼びかけ(紹介)