アメリカ (日米安保、「9・11」も)、中南米 (コスタリカ、ペルーなど)、中東・アフリカ (アフガン、イラクなど)
2024/10/21:「ウクライナ戦争」はなぜ終わらないのか――「不都合な真実」もろもろ
2024/8/26:特攻の「思想」――NHKスペシャル『“一億特攻”への道』など
2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う
2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル
2024/7/29:「不死身のトランプ」の帰還?――AR-15と全米ライフル協会
2024/7/22:2人の米空軍兵長のこと――酒気帯び運転と性暴力事件
2024/7/15:NATOグローバル化のパラドックス――「米国以外の国に戦争をやらせる体制」
2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足
2024/5/13:防衛副大臣の「適性評価」は大丈夫か――「セキュリティ・クリアランス」制度の落とし穴
2024/4/15:「戦争可能な正常国家」――日米軍事一体化と「統合作戦司令部」
2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題
2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に
2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」
2023/12/18:欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」――「安保3文書」から1年
2023/12/11:ビジネスライクな「空爆」――秋田・土崎空襲の現場、再訪
2023/12/04:安倍晋三の「野望の階段」の終わり――米ドラマ『ハウス・オブ・カード』を診る
2023/11/27:「陳腐化」した兵器をウクライナに?――多連装ロケットシステム(MLRS)
2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景
2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”
2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは
2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に
2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?
2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」
2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー
2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」
2023/5/1:19年前に改憲案を起草した統合幕僚長――憲法尊重擁護義務の射程
2023/3/20:わが歴史グッズの話(51)イラク戦争から20年――もう一つの侵略戦争
2023/3/6:核シェルターという壮大なる無駄――「防護して生き残れ」ではなく「抗議して生き残れ」
2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)
2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)23/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」
2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で
2023/1/16:台湾危機は「リスクもどき」――台湾徴兵制に対する当事者の意見
2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年
2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」
2022/3/28:わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理――兵器の在庫処分と新兵器の実験場
2022/2/21:ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル
2022/1/24:追悼・外岡秀俊さん――いま、ジャーナリストに求められるもの
2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか
2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定
2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年
2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」
2021/9/6:アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20年
2021/8/16:「8.15」、沖縄からの視点――「直言」更新1300回
2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ
2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法
2021/3/8:「普通の国」の「普通の軍隊」へ――「普通の子・バイデン」の米国との関係
2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を
2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか
2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道
2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの
2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて
2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣
2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい
2020/8/3:敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その3・完)――過大評価と過剰対応
2020/7/27:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その2)――法的、軍事技術的視点から
2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗
2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」??ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて
2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法
2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」
2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」
2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意
2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く
2019/12/16:わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」――クラスター弾(その2)
2019/10/28:>憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)
2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年
2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?
2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち
2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選
2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」
2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算
2019/6/3:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(2・完)
2019/5/27:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(1)
2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ
2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ
2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって
2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語
2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)
2018/8/27:「新聞を読むな」という政権――「新聞を読んで」の今は昔
2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を
2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か
2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ
2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件
2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法
2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に
2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」
2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて
2018/2/5:わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊
2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相
2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景
2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル
2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに
2017/10/20:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって
2017/10/19:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その3)――憲法前文とその意義
2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義
2017/10/18:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その2)――「国家の三要素」は「謎の和製ドイツ語概念」なのか
2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース
2017/7/31:公文書は「民主主義を支える知的資源」―公文書管理法1条
2017/6/5:「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)
2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年
2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?
2017/3/20:ヴァンゼー会議の75周年――トランプ政権発足の日
2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?
2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」
2017/2/6:雑談(113)「直言」20年のこと――管理人の視点から
2017/1/30:「無知の無知」の突破力――安倍流ダブルスピーク/a>
2017/1/23:トランプ新政権発足とメキシコ憲法100年
2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年
2016/12/26:「新世界無秩序」への予兆――2016年の終わりに
2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債
2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?
2016/11/28:権力は人事である――トランプ政権の正体が見えてきた
2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任
2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9
2016/11/7:「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に
2016/10/17:「駆け付け警護」――ドイツに周回遅れの「戦死のリアル」
2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回
2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く
2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読
2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz
2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議
2016/3/21:勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章
2015/11/23:パリ「11.13事件」へのもう一つの視点
2015/11/16:わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」と して提供可能?
2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと
2015/10/5:国連常任理事国入りのために――誰が内閣法制局を壊したのか
2015/9/14:気分はすでに「普通の軍隊」――アフリカ軍団への道?
2015/8/31:「捜索救助活動」のグローバル化――「周辺」と「後方地域」が外れた効果
2015/8/24:「平成の三矢作戦研究」――統幕部内資料の既視感
2015/6/2:緊急直言 集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)
2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)
2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く
2015/2/9:「テロとの戦い」の陥穽――「暴力の連鎖を超えて」再び
2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?
2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻
2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階
2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)
2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)
2014/9/1:抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)
2014/7/14:安倍式「記者会見ショー」――「憲法違反をします宣言」
2014/6/23:ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」
2014/4/28:集団的自衛権行使はいかなる「結果」をもたらすか
2014/3/24:「安保法制懇」は何様のつもりか――安倍式政権運営の歪みの象徴
2014/1/27:地方選挙と基地・原発――連続更新900回に
2013/5/20:SF政治(催眠政治)にご用心――「アベノミクス」とTPP
2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ
2013/4/15:砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか
2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視
2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年
2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」
2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)
2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)
2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完)
2012/6/11:リムパック2010――イージス艦「あたご」が沈めたもの
2012/4/30:わが歴史グッズの話(32)――講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年
2011/5/9:「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)
2011/4/4:「カダフィ標的作戦」――リビア攻撃とドイツ(2)
2011/3/28:見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1)
2011/2/21:着上陸訓練の狙い――西部方面普通科連隊の普通でない訓練
2011/2/7:もう「思いやり」とは言わせない?――TPPの次はHNS
2010/5/10:「抑止力」を疑え――鳩山首相の最後のチャンス
2010/5/3:これは「沖縄問題」なのだろうか――日本国憲法施行63周年にして
2010/4/19:「員数合わせ」的発想はやめよう――普天間問題の視点
2010/1/18:何のための「戦死」か――アフガン戦争9年目の現実
2009/11/23:わが歴史グッズの話(30) くらま&あたご etc.
2009/11/16:「日米同盟の深化」でいいのか――ブッシュとオバマの来日
2009/8/17:ドイツ軍少佐からの白バラ――軍人の抗命権・抗命義務
2009/4/13:「関東防空大演習を嗤ふ」と「国民の立憲的訓練」
2009/4/6:「家の前の戦争」から10年 ―― NATO60周年
2009/3/30:緊急:「弾道ミサイル等に対する破壊措置」命令について
2009/3/16:海賊対策のもう一つの道 ―― 海賊と日本(2・完)
2009/3/9:「海賊新法」は何が問題か ―― 海賊と日本(1)
2009/1/26:わが歴史グッズの話(29) 合衆国大統領のグッズ
2008/10/13:「対テロ戦争」とドイツ連邦軍――勲章と改憲
2008/8/25:「大根派」的発想のこと――新型戦車の「もったいない」
2008/7/21:わが歴史グッズの話(25) クラスター弾
2008/6/23:米軍再編の「点と線」――沖縄・岩国・夕張
2008/4/21:空自イラク派遣に違憲判断――「そんなの関係ねぇ」?
2007/1/14:兵器の名前からみえるもの――年のはじめに武器の話(その3)
2007/9/10:テロ特措法延長問題――前提から問いなおす議論を
2007/3/26:ブッシュ政権の終わりの始まり~Ver.2.0 the last episode(その2・完)
2006/9/18:「あれから5年」――何が変わったのか(その2・完)
2006/9/11:「あれから5年」――何が変わったのか(その1)
2005/12/19:「押しつけConstitution」の効果
2004/11/15:「永遠の平和」のための「永遠の戦争」?
2004/11/8:ブッシュ政権の終わりの始まり~Revisited(再訪)? Reloaded(再装填)?
2004/6/14:韓米と日米のあいだ―― 韓国で考える(1)
2004/5/17:わが歴史グッズの話(13)サミットリカちゃん
2003/12/15:憲法前文つまみ食いと「瞬間タッチ断言法」の危なさ
2003/7/28:「国際貢献恒久法」と「有志連合」の隠れた関係
2003/6/16:イラクとコンゴ――派兵目前の日本とドイツ
2003/4/14:イラク戦争と日本――失われたものの大きさ
2003/3/17:「湾岸トラウマ」?――必要な戦争などない
2002/6/10:わが歴史グッズの話(6)「アシアナから」
2001/12/24:わが歴史グッズの話(3)米軍ハンドブック
2001/10/22:「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すなかれ」
1999/1/9:緊急直言・PKF凍結解除と危険な自・自連立
1998/6/15:特攻隊とサリン――国家の面子を守るために