アメリカ (日米安保、「9・11」も)、中南米 (コスタリカ、ペルーなど)、中東・アフリカ (アフガン、イラクなど)


2024/11/6:「もしトラ」が「ほんトラ」に――2024年米大統領選挙と日本

2024/10/21:「ウクライナ戦争」はなぜ終わらないのか――「不都合な真実」もろもろ

2024/8/26:特攻の「思想」――NHKスペシャル『“一億特攻”への道』など

2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う

2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル

2024/7/29:「不死身のトランプ」の帰還?――AR-15と全米ライフル協会

2024/7/22:2人の米空軍兵長のこと――酒気帯び運転と性暴力事件

2024/7/15:NATOグローバル化のパラドックス――「米国以外の国に戦争をやらせる体制」

2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足

2024/5/13:防衛副大臣の「適性評価」は大丈夫か――「セキュリティ・クリアランス」制度の落とし穴

2024/4/15:「戦争可能な正常国家」――日米軍事一体化と「統合作戦司令部」

2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題

2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に

2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」

2023/12/18:欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」――「安保3文書」から1年

2023/12/11:ビジネスライクな「空爆」――秋田・土崎空襲の現場、再訪

2023/12/04:安倍晋三の「野望の階段」の終わり――米ドラマ『ハウス・オブ・カード』を診る

2023/11/27:「陳腐化」した兵器をウクライナに?――多連装ロケットシステム(MLRS)

2023/11/20:イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか――ドイツ政府の異様なイスラエル擁護の背景

2023/11/13:サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”

2023/10/23:「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」――戦争を長期化させようとする力とは

2023/10/16:ネタニヤフ右派政権とハマスを選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に

2023/8/7:ヒロシマ・ナガサキ・ウクライナ――被爆78年から「被爆元年」へ?

2023/6/5:「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」――「独ソ戦」化する「ウクライナ戦争」

2023/5/22:G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー

2023/5/15:ナトー好きの日本首相(その2)――「真正の軍事大国に」

2023/5/1:19年前に改憲案を起草した統合幕僚長――憲法尊重擁護義務の射程

2023/3/20:わが歴史グッズの話(51)イラク戦争から20年――もう一つの侵略戦争

2023/3/6:核シェルターという壮大なる無駄――「防護して生き残れ」ではなく「抗議して生き残れ」

2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)

2023/2/27:「地政学的戦争」――「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)23/2/6:「ウラヌス作戦」80年目のリアル――「ロシア・NATO戦争」への「勢い」と「傾き」

2023/1/23:戦車と「戦争の犬たち」――「ウクライナ戦争」の背後で

2023/1/16:台湾危機は「リスクもどき」――台湾徴兵制に対する当事者の意見

2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって

2022/12/19:「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」


2022/12/12:中村哲さんの殺害から3年――日本は武力を行使する国になるのか

2022/11/28:昔は戦車、今、ミサイル――まず兵器ありきの安全保障政策

2022/11/14:雑談(134)『西部戦線異状なし』――ドイツ人がドイツの戦争を描く

2022/11/7:東西ドイツ国境にかかる虹――「ベルリンの壁」崩壊33年

2022/10/17:弾道ミサイル「上空通過」をめぐる日台比較――「キューバ危機」から60年

2022/10/3:権力の私物化と社会の軍事化――「我が軍」といった首相の葬儀

2022/9/5:「武器供与のリスクと副作用」――「ウクライナ戦争」の半年

2022/8/15:わが歴史グッズの話 (50) 軍用ヘルメット(鉄帽・鉄兜)――戦後77年と開戦172日に

2022/7/18:「7.8事件」は日本の「9.11」か――「ショック・ドクトリン」によるトータル・リセット?

2022/6/20:アフガンとウクライナ――大国が勝手に始めて、勝手に終わらせる戦争とは

2022/6/13:「ウクライナ戦争」をめぐる「もう一つの視点」――プーチン+トランプ

2022/6/6:雑談(131)音楽よもやま話(30)チャイコフスキー交響曲第2番「小ロシア」or「ウクライナ」

2022/5/30:NATO「北方拡大」は何をもたらすか──「ヴェルダン」と「ミンスク」のメルケル前首相

2022/5/23:戦争をいかに止めるか――『ロシア 小さき人々の記録』から考える

2022/5/16:映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル──軍備強化の既視感

2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年

2022/4/11:「核シェアリング」という時代錯誤――奇貨としての「プーチンの戦争」

2022/3/28:わが歴史グッズの話(49)「プーチンの戦争」の不条理――兵器の在庫処分と新兵器の実験場

2022/2/21:ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル

2022/1/24:追悼・外岡秀俊さん――いま、ジャーナリストに求められるもの

2022/1/3:2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか

2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定

2021/12/6:なぜ、憲法改正に「スピード感をもって」なのか──マレー半島コタバル上陸作戦から80年

2021/11/22:「コロナ語」を問う――政治家と忖度「専門家」

2021/9/6:アフガニスタンはどうなるのか――「9.11」と「10.7」から20年

2021/8/16:「8.15」、沖縄からの視点――「直言」更新1300回

2021/4/19:「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ

2021/4/5:軍が民衆に発砲するとき(その2)――ミャンマー国軍と2008年憲法

2021/3/8:「普通の国」の「普通の軍隊」へ――「普通の子・バイデン」の米国との関係

2021/2/1:「人貴キカ、物貴キカ」――「五輪メンツ」と「Go To」からの脱却を

2021/1/25:「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか

2020/11/16:菅義偉政権、「恣意」の支配――「シュタージ国家」への道

2020/11/9:新しい「壁」の時代へ――「トランプのアメリカ」が残すもの

2020/11/2:核兵器禁止条約発効の意義―思考の怠惰を超えて

2020/9/21:安全保障関連法成立5周年+追伸「アベノグッズ」の店じまいと菅義偉内閣

2020/8/31:わが歴史グッズの話(47)「アベノグッズ」の店じまい

2020/8/3:敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その3・完)――過大評価と過剰対応

2020/7/27:「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その2)――法的、軍事技術的視点から

2020/6/8:トランプがワシントンを「天安門」に? ――「狂犬マティス」の抵抗

2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」??ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて

2020/3/16:大空襲から75年――防空法と新型コロナ特措法

2020/2/17:「わが歴史グッズ」の現場――『早稲田学報』特集「教授の部屋」

2020/1/13:世界大戦の引き金としての「標的殺害」――新・戦争の「無人化」と「民営化」

2020/1/6:「復興五輪」から「安倍五輪」へ――「祭典便乗型改憲2020」に要注意

2019/12/30:「忘却力」に負けない――激動の2019年は2020年へ続く

2019/12/16:わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」――クラスター弾(その2)

2019/10/28:>憲法9条と「日本の空の非常識」を語る――南京の旅(3・完)

2019/9/9:「新世界無秩序2.0」へ?――「9.11」から18年

2019/8/19:「戦争の惨禍再び」――ホルムズ海峡「存立危機事態」?

2019/8/5:わが歴史グッズの話(45)「自国ファースト」時代の指導者たち

2019/7/29:「日本のトランプ」と「3分の2堤防」――2019年参院選

2019/6/24:「日米同盟」という勘違い――超高額兵器「爆買い」の「売国」

2019/6/10:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債(その2)――忖度と迎合の誤算

2019/6/3:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(2・完)

2019/5/27:激動のイスラエルとパレスチナを行く――ゼミ生の取材記(1)

2019/4/29:「祭典便乗型改憲」――リセット症候群の危うさ

2019/3/25:女性参政権100年と日本の現実――「ねじれ解消」の解消へ

2019/1/7:末尾「9」の年には変動が起きる――2019年の年頭にあたって

2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語

2018/10/15:イージス・アショアの「もったいない」――「大根派」的発想のこと(その2)

2018/8/27:「新聞を読むな」という政権――「新聞を読んで」の今は昔

2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を

2018/6/25:米朝「共同声明」をどう診るか――「体制の保証」か「安全の保証」か

2018/6/18:米朝首脳会談の先に見えるもの――東アジアの歴史的転換へ

2018/4/23:「膿の親」は誰か――イラク日報問題と自衛官暴言事件

2018/4/16:安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法

2018/3/12:「地球儀を俯瞰する外交」の終わり――トランプと「100%一致」の末に

2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」

2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて

2018/2/5:わが歴史グッズの話(42)対人地雷禁止条約20周年と自衛隊

2018/1/29:首相の怪しい憲法理解と官房機密費

2018/1/22:歴史的退歩のトランプ政権1年――「100%支持」の安倍首相

2018/1/15:年のはじめに武器の話(その2)――変わる自民党国防部会の風景

2018/1/8:年のはじめに武器の話(その1)――空母、爆撃機、ミサイル

2017/11/20:トランプ・アベ非立憲政権の「国難」――兵器ビジネス突出の果てに

2017/10/20:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その4・完)――憲法9条をめぐって

2017/10/19:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その3)――憲法前文とその意義

2017/10/16:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)――「9条加憲」と立憲主義

2017/10/18:憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その2)――「国家の三要素」は「謎の和製ドイツ語概念」なのか

2017/9/4:雑談(115)「スマートなアホ化」と政治

2017/8/14:「不安の制度化」の手法――トランプ・金・安倍の危ないチキンレース

2017/7/31:公文書は「民主主義を支える知的資源」―公文書管理法1条

2017/6/5:「共謀罪」法案に隠された重大論点――「準備行為」(overt act)

2017/5/1:「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年

2017/4/3:「教育勅語」に共鳴する政治――「安倍学校」の全国化?

2017/3/20:ヴァンゼー会議の75周年――トランプ政権発足の日

2017/2/27:「トランプゲート事件」と安倍政権――終わりの始まり?

2017/2/13:非立憲のツーショット――「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」

2017/2/6:雑談(113)「直言」20年のこと――管理人の視点から

2017/1/30:「無知の無知」の突破力――安倍流ダブルスピーク/a>

2017/1/23:トランプ新政権発足とメキシコ憲法100年

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/12/26:「新世界無秩序」への予兆――2016年の終わりに

2016/12/19:安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債

2016/12/5:「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?

2016/11/28:権力は人事である――トランプ政権の正体が見えてきた

2016/11/21:ふたつの「駆け付け警護」―――最高責任者の無責任

2016/11/14:トランプ政権と新しい「壁」の時代――「ベルリンの壁」崩壊27年後の11.9

2016/11/7:「多選自粛」を反故にする首長たち――安倍色の世界に

2016/10/17:「駆け付け警護」――ドイツに周回遅れの「戦死のリアル」

2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回

2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く

2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読

2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz

2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議

2016/3/21:勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章

2016/2/22:権力の私物化と「生業としての政治」

2015/11/23:パリ「11.13事件」へのもう一つの視点

2015/11/16:わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」と して提供可能?

2015/10/19:「賞」と「遺産」の季節に――「小さき人々」のこと

2015/10/5:国連常任理事国入りのために――誰が内閣法制局を壊したのか

2015/9/14:気分はすでに「普通の軍隊」――アフリカ軍団への道?

2015/8/31:「捜索救助活動」のグローバル化――「周辺」と「後方地域」が外れた効果

2015/8/24:「平成の三矢作戦研究」――統幕部内資料の既視感

2015/6/2:緊急直言 集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)

2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)

2015/3/16:参議院で「憲法とは何か」を語る

2014/2/23:安倍「最高指揮官」への懐疑

2015/2/16:『シャルリー・エブド』事件から――「文化戦争」・志田陽子氏に聞く

2015/2/9:「テロとの戦い」の陥穽――「暴力の連鎖を超えて」再び

2015/2/2:フランスの「1.7」は「9.11」なのか――「私はシャルリー」?

2015/1/26:地球儀を弄ぶ外交――安倍流「積極的平和主義」の破綻

2014/12/29:「成長戦略」としての武器輸出?――日独の新段階

2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)

2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)

2014/9/1:抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)

2014/7/14:安倍式「記者会見ショー」――「憲法違反をします宣言」

2014/6/23:ホルムズ海峡の機雷掃海――安倍首相の「妄想」

2014/4/28:集団的自衛権行使はいかなる「結果」をもたらすか

2014/3/24:「安保法制懇」は何様のつもりか――安倍式政権運営の歪みの象徴

2014/1/27:地方選挙と基地・原発――連続更新900回に

2013/9/30:平和における「顔の見える関係」

2013/9/23:「ダイヤモンド安保」と「価値観外交」

2013/5/20:SF政治(催眠政治)にご用心――「アベノミクス」とTPP

2013/5/06:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ

2013/4/15:砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

2013/3/25:「主権回復の日」?――自衛隊『朝雲』コラムも疑問視

2013/3/18:「復興の加速化」のなかでの忘却――東日本大震災2周年とイラク開戦10周年

2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」

2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)

2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)

2012/9/10:「安心保障」の先に何が――「安全・安心社会」の盲点(3・完)

2012/7/16:日米安保を揺るがすオスプレイ

2012/6/11:リムパック2010――イージス艦「あたご」が沈めたもの

2012/4/30:わが歴史グッズの話(32)――講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年

2011/11/21:TPPと日米安保2条

2011/11/14:戦車で「動的防衛力」?――北海道から

2011/9/12:「9.11」10周年から見えてくるもの

2011/5/9:「トモダチ」という作戦――大震災と自衛隊(2)

2011/4/4:「カダフィ標的作戦」――リビア攻撃とドイツ(2)

2011/3/28:見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1)

2011/2/21:着上陸訓練の狙い――西部方面普通科連隊の普通でない訓練

2011/2/7:もう「思いやり」とは言わせない?――TPPの次はHNS

2011/1/24:TPPと「食の安全保障」

2011/1/17:湾岸戦争20周年と「意図せざる結果」

2010/12/20:新防衛計画大綱の「鋭利な刃」

2010/9/20:「理解を求める」側の論理――新聞と沖縄

2010/9/13:任務遂行射撃と「関東軍的思考」

2010/7/26:「させていただく」症候群

2010/7/19:沖縄はどこへ行ったのか

2010/7/12:わが歴史グッズの話(31) 訓練グッズ

2010/6/21:日米安保改定から半世紀

2010/6/7:政治家の言葉――首相と大統領の辞任

2010/5/31:この「日米共同声明」は実現しない

2010/5/17:戦争の「無人化」と「民営化」

2010/5/10:「抑止力」を疑え――鳩山首相の最後のチャンス

2010/5/3:これは「沖縄問題」なのだろうか――日本国憲法施行63周年にして

2010/4/26:「日米同盟」からの「圏外」移設

2010/4/19:「員数合わせ」的発想はやめよう――普天間問題の視点

2010/3/15:「広義の密約」とは何か

2010/3/8:鳩山政権の「政見後退」

2010/3/1:「核の傘をたたむ日」に向けて

2010/1/18:何のための「戦死」か――アフガン戦争9年目の現実

2010/1/4:2010年の年頭にあたって

2009/12/7:普天間問題に発想の転換を

2009/11/23:わが歴史グッズの話(30) くらま&あたご etc.

2009/11/16:「日米同盟の深化」でいいのか――ブッシュとオバマの来日

2009/10/12:「復興支援活動」の実態が見えてきた

2009/8/24:核時代のピエロ

2009/8/17:ドイツ軍少佐からの白バラ――軍人の抗命権・抗命義務

2009/5/25:中央即応集団(CRF)が動きだす

2009/5/4:国民投票を好む権力者たち

2009/4/27:国会で海賊法案を批判する

2009/4/13:「関東防空大演習を嗤ふ」と「国民の立憲的訓練」

2009/4/6:「家の前の戦争」から10年 ―― NATO60周年

2009/3/30:緊急:「弾道ミサイル等に対する破壊措置」命令について

2009/3/16:海賊対策のもう一つの道 ―― 海賊と日本(2・完)

2009/3/9:「海賊新法」は何が問題か ―― 海賊と日本(1)

2009/1/26:わが歴史グッズの話(29) 合衆国大統領のグッズ

2009/1/19:オバマ新政権と日本

2009/1/5:2009年を「復興」の年に

2008/12/22:「職の安全」も問われている

2008/12/8:ソマリア沖の海賊と自衛隊

2008/12/1:漫画首相と政治の戯画化

2008/11/10:さまざまな“11.9”

2008/10/20:「はなむけ」と「おもいやり」の関係

2008/10/13:「対テロ戦争」とドイツ連邦軍――勲章と改憲

2008/8/25:「大根派」的発想のこと――新型戦車の「もったいない」

2008/8/11:わが歴史グッズの話(26) 焼夷弾

2008/7/21:わが歴史グッズの話(25) クラスター弾

2008/7/7:洞爺湖サミットがもたらす「例外事態」

2008/6/23:米軍再編の「点と線」――沖縄・岩国・夕張

2008/5/26:砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」

2008/4/21:空自イラク派遣に違憲判断――「そんなの関係ねぇ」?

2008/3/31:イージス艦事故「中間報告」の感覚

2008/3/17:日本にも銃社会がくるのか?

2008/2/21:緊急直言 イージス艦、漁船轟沈

2007/1/14:兵器の名前からみえるもの――年のはじめに武器の話(その3)

2007/12/31:「偽」の年から「技」の年へ

2007/10/22:補給支援活動特措法案の愚

2007/9/10:テロ特措法延長問題――前提から問いなおす議論を

2007/8/13:映画「TOKKO-特攻-」を学生と観る

2007/6/11:二つの“22”とニッポン

2007/4/16:権力者が改憲に執着するとき

2007/3/26:ブッシュ政権の終わりの始まり~Ver.2.0 the last episode(その2・完)

2007/1/22:イラクからイランへ

2006/9/18:「あれから5年」――何が変わったのか(その2・完)

2006/9/11:「あれから5年」――何が変わったのか(その1)

2006/8/21:「レバノン戦争」は「9.11」になるか

2006/7/10:「テポドン」とミサイル防衛

2006/7/3:「撤退」か「撤収」か

2006/5/8:体験的「米軍再編」私論(その2・完)

2006/5/1:これが「同盟」なのか?(その1)

2006/3/20:岩国市民が投げた「たかが一票」

2006/2/6:「民主主義国」の拷問と拉致

2006/1/23:「1月17日」物語

2005/12/19:「押しつけConstitution」の効果

2005/12/12:「12月8日」にこだわる理由

2005/12/5:わが歴史グッズの話(17)3枚の地図

2005/11/28:「考え直す時間」と外交

2005/8/22:わが歴史グッズの話(15)地雷と破片

2005/6/20:攻撃は最大の防禦?

2005/5/30:わが歴史グッズの話(14)基地マッチ

2005/5/9:映画「戦争のはじめかた」の「おわりかた」

2005/3/7:自動採点とミサイル防衛

2005/1/31:「圧制からの自由」と「圧制の自由」

2004/12/27:一人の兵士が死ぬということ

2004/12/13:ある駐屯地の虐待事件から見えるもの

2004/11/15:「永遠の平和」のための「永遠の戦争」?

2004/11/8:ブッシュ政権の終わりの始まり~Revisited(再訪)? Reloaded(再装填)?

2004/10/4:あのエアバスを撃墜せよ!

2004/9/13:沖縄ヘリ墜落事件から見えるもの

2004/8/30:武器輸出3原則等も消える?

2004/8/2:日韓共同研究IN東京

2004/6/14:韓米と日米のあいだ―― 韓国で考える(1)

2004/6/7:イラク戦争と9条改憲

2004/5/17:わが歴史グッズの話(13)サミットリカちゃん

2004/4/26:「ノー」と言うことの意味

2004/4/19:自己責任と無責任

2004/4/10:緊急直言 「今」、自衛隊は撤退すべきか

2004/4/5:「ひいては国益のために…」

2004/3/29:「コソボ戦争」5周年

2004/3/1:小さな嘘と大きな嘘

2004/2/16:イラクに派遣される自衛官に

2004/2/9:黄色いハンカチと白いリボン

2004/2/2:いま、大学がおかしい

2004/1/26:平和のため地方自治体にできること

2004/1/12:年のはじめに武器の話(その2)

2004/1/5:年のはじめに武器の話(その1)

2003/12/29:年末の憲法談義

2003/12/15:憲法前文つまみ食いと「瞬間タッチ断言法」の危なさ

2003/12/8:米英軍「と」から「ともに」へ

2003/12/1:君、殺されたまうことなかれ

2003/10/13:真の現実主義とは何か

2003/9/29:「法による平和」の復興を

2003/9/22:拉致問題解決に向けて

2003/9/8:わが歴史グッズの話(11)ブッシュグッズ

2003/9/1:世界貿易センター爆破事件から10年

2003/8/25:「傲慢無知」の政治言語

2003/7/28:「国際貢献恒久法」と「有志連合」の隠れた関係

2003/7/21:「宣誓」のやり直しが必要だ

2003/7/7:「サダムゲート事件」――戦争における嘘

2003/6/30:日韓共同研究IN沖縄

2003/6/23:個人の良心が問われる時代に

2003/6/16:イラクとコンゴ――派兵目前の日本とドイツ

2003/6/2:日弁連主催の集会で語ったこと

2003/5/19:憲法記念日と民主党の「転進」

2003/4/21:ブッシュの「ブレジネフ・ドクトリン」

2003/4/14:イラク戦争と日本――失われたものの大きさ

2003/4/7:侵略の戦費を負担してはならない

2003/3/31:自由と民主主義のための軍事介入?

2003/3/24:国際法違反の予防戦争が始まった

2003/3/17:「湾岸トラウマ」?――必要な戦争などない

2003/3/10:わが歴史グッズの話(10)手榴弾

2003/3/3:いま、そこで作られる危機

2003/2/17:保守政治家の死刑廃止論

2003/2/3:ヒトラーとブッシュ

2003/1/6:戦争の世紀への逆走?

2002/12/16:AWACSとイージス艦

2002/12/9:わが歴史グッズの話(9)伝単2

2002/11/18:在韓米軍地位協定の「現場」へ(2)

2002/10/28:雑談(20)沖縄でサイパン戦をみる

2002/10/21:あるアフガン人男性の自殺

2002/10/7:在独米軍基地使用拒否の論理

2002/9/30:「ブッシュの戦争」パート2に反対する

2002/9/2:土崎空襲と「誤爆」の論理

2002/8/26:「法による平和」の危機(その2)

2002/8/19:「法による平和」の危機(その1)

2002/7/8:わが歴史グッズの話(7)カブール

2002/6/10:わが歴史グッズの話(6)「アシアナから」

2002/4/15:首相公選制とジェニンの虐殺

2002/3/25:「普通の国」先輩国ドイツのジレンマ

2002/3/18:わが歴史グッズの話(5)伝単

2002/3/11:映画「軍隊をすてた国」をみる

2002/3/4:たかが一人、されど一人

2002/2/25:有事法制は安全を守れるか

2002/2/4:もう一つの9.11

2001/2/15:緊急直言 傲慢と迎合の果てに

2001/12/24:わが歴史グッズの話(3)米軍ハンドブック

2001/12/3:マザリシャリフの大虐殺

2001/11/26:ジャイアンとスネ夫の関係

2001/11/12:日独伊の派兵の意味

2001/10/29:わが歴史グッズの話(2)ガスマスク

2001/10/22:「10人の無辜を処罰しても、1人のテロリストを逃すなかれ」

2001/10/15:またも特措法で「法恥国家」

2001/10/08:言葉もて、人は獣にまさる

2001/10/01:「限りなき不正義」と「不朽の戦争」

2001/9/24:雲仙普賢岳と強襲揚陸艦

2001/9/17:最悪の行為に最悪の対応

2001/9/3:「もし万一攻めてしまったら」

2001/8/27:新聞に載らなかった奇妙な話

2001/7/30:東チモールとマケドニア

2001/7/9:沖縄の事件があぶりだしたもの

2001/3/5:原潜事故から見えるもの

2001/2/12:コスタリカ市民の憲法意識

2001/1/22:テキサス州の「罪と罰」

2000/11/20:米大統領選挙の「幻の号外」

2000/1/31:エジプトのコプト教徒

1999/1/9:緊急直言・PKF凍結解除と危険な自・自連立

1999/12/27:ボン空襲55年に寄せて

1999/6/14:「オルブライト」の戦争

1999/6/7:「レマゲン鉄橋」の星条旗

1999/3/1:高知県非核港湾条例のこと

1999/2/22:米軍HPから見えるもの

1999/2/8:稲嶺沖縄知事の3年前の言葉

1998/8/31:「広島に原爆を落とす日」とミサイル攻撃

1998/2/11:緊急直言・7年目の湾岸戦争に反対する

1998/12/14:カーチス・ルメイという男

1998/12/7:自衛隊ホンジュラス派遣の意図

1998/11/24:沖縄知事選をどう見るか

1998/11/16:憲法学会と周辺事態法

1998/11/2:「プライベート・ライアン」を観る

1998/9/14:20年前の内部告発書

1998/9/7:「ミサイル」事件とTMD

1998/8/24:「国益」と「人の道」

1998/8/3:8月6日を前にして

1998/7/13:選挙後に周辺事態法

1998/6/22:「周辺事態」と地方自治体

1998/6/15:特攻隊とサリン――国家の面子を守るために

1998/6/1:日本一多忙な沖縄県出納長

1998/4/27:ペルー事件から1年

1998/3/2:周辺有事立法を批判する(その1)

1998/2/20:「ならず者」の低空飛行訓練とニッポン

1998/1/6:「非常事態」の年

1997/6/9:緊急直言・ガイドライン中間報告を斬る

1997/12/15:安保があるからあたりまえ?

1997/11/10:海上ヘリ基地建設の愚行

1997/10/6:物見遊山を利用する人々

1997/9/29:軍事介入主義の公然たる表明

1997/9/1:小樽に米空母が来る

1997/8/18:日本は「限りなく透明な存在」

1997/7/14:キャンプ・ハンセン内の反戦談義

1997/5/5:憲法施行50年行事を終えて

1997/4/28:45年目の4.28

1997/4/26:緊急直言・日本大使公邸の大量虐殺

1997/4/14:旧東独の軍事演習上問題が「解決」へ

1997/3/31:沖縄特措法「改正」と"法恥国家"

1997/3/10:東京大空襲から52年

1997/3/4:広島の弾薬庫に劣化ウラン弾

1997/2/14:軍事演習場は「環境の敵」

1998/7/20:米国製「ゴジラ」の核感覚

1998/6/8:「核の傘」に依存しない安全保障とは

1998/3/9:周辺有事立法を批判する(その2)

1997/12/19:緊急直言・地方自治のための「清き一票」

1997/12/22:名護市民は負けなかった

1997/12/8:地球温暖化と軍隊

1997/12/1:名護市民投票への政府の「介入」

1997/11/17:なめたらあかんぜよ―名護からの報告

1997/9/8:地方分権推進委3次勧告の傲慢さ

1997/1/3:ペルー大使公邸人質事件について

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